「男性を手のひらでころがす手法もある」???


遥洋子さんのコラムで、彼女が講演で女性に向けて、「結婚も仕事も、固定観念で生き方を決めず、自由に自分らしく生きましょう」というメッセージを伝えようとする話をしたときに、男性の聴衆の一人から、「でも、遥さん、本当は結婚したいんでしょ?」と聞かれ、ずるっ!と来た、という話が書いてあります。(「本当は結婚したいんでしょ?」NikkeiBP、2007年3月30日
この質問をした同じ男性の続きが書いてあります。

 「男性を手のひらでころがす手法もある」とその男性は続けて言った。男性を手に乗せたくない女性もいる、ということが如何に届きにくいかが分かる。「男性こそ、今の時代では萎縮している。女性ばかりが辛いわけではない」とも言った。


 男性を手のひらでころがし、あなたは立派、あなたが正しい、あなたが必要、と機嫌を取れない女性はそこから撤退し、自由に生きだした。「あなたは立派」と言われなくなった男性は、男いらずで元気な女性を目の当たりに自信を失い萎縮する。

こういうおじさんいるよなぁ、ほんと、同じ男性としては、何となく気恥ずかしく、連帯責任として申し訳ない気もしてくる・・・。そもそも、自分が男性だから、年長だから、○○の役職だから、○○大学出てるから、親や家柄が○○だから・・・、などなどで、“本質的に”自分は偉い!、と勘違いしている人は、特に大組織になればなるほど多いですね。男性であってもこういう被害に遭うことは多々あり。「ころがす」メリットがない限り、男であれ、女であれ、“芸者”の役を果たす必然性はないんだな、ってことに気付け馬鹿やろぉ〜って思います。“看板”を自分の実力と勘違いしている人って、ハタから見て惨め、惨め〜ぇ、え〜え〜♪♪。


さてこういう勘違いの被害者は女性に限らず、また“女性”という属性ゆえに必然的に常に被害者になるとも限らない、と感じるときあります。宗教者の場合、男女の性差による差別もありますが、同時に“出家”と“在家”の差別も多い。“出家”の女性からの被害を受けるときもありますよ。クレリカリズム、はどの宗教団体にも多かれ少なかれ、あるようで。男性出家者に差別されてる!と叫ぶ女性出家者のみなさん、自分の足もとも見直した方がいいですよ。在家の人に辛くあたってないですか??


やっぱり、人間にとって本質的に大切なのは謙虚さでしょうか。遥さんのような明晰な人に足もとすくわれないように、我が振り直そうと思います。