記者の“当事者性”と“やり逃げ”

quelo42008-06-18



 記事を書いていて、毎週毎週その場しのぎのやり逃げ状態が、どうにも腑に落ちず、でもそこに留まっていては仕事にならないので、どんどんやり過ごしていることへの疑問が、通奏低音なのですが、そこにとてもよく響く記事がこちら→「同じ空間を共有できていたのか−−秋葉原事件の撮影について、2008/06/14 16:31、著者:佐々木俊尚」


 秋葉原の事件において、マスメディアと一般人のネット報道と、どちらも野次馬性において等価、という問題設定です。

 実はこの野次馬根性というのは、それらの記事や映像を受け取る視聴者・読者の側とダイレクトにつながっている。大半の人は、野次馬根性でしか事件報道を見ていない。事件現場の映像にゾクゾクするような興奮を感じない人がいるだろうか? 被害者や遺族に対する詠嘆、社会に対する怒りなどの理性的な思考が生まれてくるのはしばらく後の話で、最初の事件発生直後には、報道するマスメディアとその情報を受け取る視聴者を巻き込んだ、興奮の渦しか存在していない。

 この興奮のメディア空間の中で、マスメディアはいったいどのような役割を果たしているのか。もちろん第一義的には情報を視聴者のもとへと運ぶコンテナーの役割を持っているのだけれども、それと同時にマスメディアは、野次馬根性を「公共性」という甘ったるい生クリームでからめとってしまい、むき出しの野次馬根性を覆い隠してくれる役割を持っている。

 つまり本当は単なる野次馬根性で殺人事件のニュースを観ている人たちも、「こんなひどい事件は信じられない」「世の中が悪くなっている」と詠嘆してみせて、社会正義を希求しているふりをすることができるのだ。古舘伊知郎キャスターや「ニュースゼロ」の村尾信尚キャスターの深刻そうなしかめ面は、そうした社会正義を保つための共同幻想装置の補助デバイスになっているのだ。


 しかしこの共同幻想装置は、いまや崩壊し始めている。マスコミの裏側がよく見えるようになり、インターネットにおける対抗言論の登場が、その状況に拍車をかけた。この結果、テレビのカメラに対しても自分の生身のエゴと同じような野次馬根性が見えてしまうようになってきて、甘ったるい生クリームははげ落ちつつある。人々はマスメディアのカメラに、一般の人の撮影と同じぐらいの不快感を抱くようになったのだ。

 そしてこの野次馬性は、そこに巻き込まれていない場合にのみ成立している、ということも述べます。

 そして第二に、同じ空間を共有しながら同時に取材対象を「取材する」という行為は、つねに痛みを伴う。ブログ「煩悩是道場」のululun氏は秋葉原歩行者天国通り魔事件に私が見たものというエントリーで、1980年に新宿で起きたバス放火事件について触れている。この事件では全身に火傷を負った女性の兄であるプロカメラマンが、偶然現場近くを通りかかってスクープ写真を撮影し、その写真は高い評価を得た。しかしカメラマンは実妹が事件に巻き込まれていることを知って衝撃を受け、廃業してしまったという。

 事件の現場にカメラを向けられるのは、そこに「身内」がいないからだ。
 報道という行為自体が常に「他人事」として作り出され、そこに当事者性が存在していないからこそ行うことが出来るのだ。
 あの場所で、被害に遭っていたら「あなた」はどんなに優れていたデジタルガジェットを所有していたとしてもその事実を流すことは出来ない。
 事実を流すことが出来るのは、被害に遭っていない、あなたとは無関係の誰かでしかない。
 報道とは、当事者性を帯びた瞬間に牙を剥く。

 ululun氏は先のエントリーで当事者性を、家族や親戚、友人知人などの「身内」としてとらえている。だがこれまで書いてきたように、私がいま説明しようとしている空間共有性、当事者性はもう少し広義の意味を含めている。つまりはそこで「同じ空間を共有し、その空間を共有していることを認識している」「その空間の現時点、現地点での重みを同じように認識している」「共感している」というような意味としてとらえるということだ。

 そして、敢えて「巻き込まれる」ことに身を置きながら報道するニュージャーナリズムの登場もある一方で、「しかし圧倒的に多くのマスメディアの記者たちは、そうした「空間共有性」を望んではいない。なぜなら彼らにとって(そして新聞記者だった当時の私にとっても)、事件取材というのは日常のルーティンワークでしかなく、そこでは「巻き込まれること」を無意識的に排除してしまっているからだ。その「巻き込まれ」の排除が過度に現れてしまったのが、桃井さんがショックを受けた献花台のメディアスクラムである。」となるわけです。


 記者なんてそんなもの、という割り切り方で行くしかないのかもしれませんが、ほぼ素人記者である私の葛藤を、ぴったり表しているエントリーでした。