イラクの人質事件

これについては多く論じられていますが、友人から意見を聞かれて書いたこと、ここにもあげておきます。いろんな反論があるでしょうが。その友人はラディカルです。

1)ひとつに、この5人の人たちが殺されていれば、話はこれほど複雑にならなかったと思いますが、誘拐・人質、という状況が、話を複雑にしたと思います。ここには、少なからず、北朝鮮による拉致被害家族、という存在と、それに絡む議連やメディア(+家族?)の動きが、今回の事件にパラレルで動いたように観察されるのですが、そうではないでしょうか?


2)フリーのジャーナリストの2人は、より危険なところに行くのは仕方ないことのように思いますし、ジャーナリズムがどこへ行こうが、政府がそれをコントロールしようとするのはお門違いです。また、彼らも別に政府に助けを求める気持ちはもともとないと思われます。ただ当然に、どこまでリスクをとるかは各ジャーナリストの判断であり、他の戦争ジャーナリストが「プロとして責任のある判断をしなければ」といっていましたが、それはその通りだと思います。しかし、キャパであれ、市ノ瀬さんであれ、弾に当たるときはあたるものです。


3)NGO仲間はそう思うと思いますが、「海外ボランティア論」というのがあるとすれば、その観点から見て、今回のボランティア系の3人が戦闘地域に入っていったことは、状況判断を誤ったと思います。私もアルゼンチンにいたとき、首都でクーデターが起きたことがありますが(短期間で武装解除し解決しました)、そういうとき、心情的には「現地の人をおいて逃げ出すわけにはいかない」と思うものの、やはり「ガイジン」が残ることが現地のいろんな人にとって「足手まとい」になることは多々あり、また本人の意向とはまったく別のところで「外交問題」になることもあると思われます。私の場合、何か事故に遭えば世話になっていた修道会にも迷惑がかかることになり、気持ちは現地の人と一緒、でも、現実的にはやはり足手まとい感はぬぐえない。しかも、今回の3人は、組織としてでない単独行動のようですし、現地語もあまり話せないような状況から、現地情報収集量や緊急避難手段など、個人ではさらにリスクが高く、あまり合理的な行動ではなかったのではないかと推測します。


4)その上で、政府が、「自己責任論」を展開するのであれば、最初から、助けに行かない姿勢を貫くべきだったと思います。結果論としては、多分、政府が何もしなくても、彼らは助かったのではないでしょうか。
ないしは、助けに行くときはこれこれの金がかかると「見積り」を出すべきです。あとになって、「助けてやったんだから金を出せ」というのは追いはぎです。民主党衆議院議員が昨夜J-Waveで話していたのですが、現政府には危機管理の体制がないため、今回のような事態にどう対応するか決まったルールやマニュアルがない。したがって、情報に流されて、また、家族やマスコミに振り回され(たように見える)、不必要な外務副大臣まで現地に送り(多分これに相当費用がかかったことでしょう、その衆議院議員によると、要人が行けば行くほど、テロリストは交渉相手として値をつり上げるのが常識だそうです)、みんなが「自業自得」と叫び始めたことに乗じて、今度は「金返せ!」と罵倒する。プランがない外交+安全保障政策をやってるから、こんなみっともない対応になる、という感じがします。


5)イラクに残りたい」発言についてですが、アメリカにいる日本人からの情報によると(村上龍JMMにあります、URL調べられませんでした)、この発言はアルジャジーラのインタビューに答えてのものだったようです。したがって、3人が解放後、イラク人+周辺アラブ人に向かって、「イラクの人たちの尽力によって解放され、イラクの人たちを恨んではいない、感謝している、また彼らのために働きたい」、ということを訴えた。これは、日本とイラクの関係を維持するためにかなり効果的だったのではないか、とその人も見ています。
また、日本から3人の素性と解放を訴える多くのメールが直接アルジャジーラに届き、それが人質解放に資したことは、そのアメリカ在住の日本人の人も指摘していたので、アメリカではそうした報道があったか、またはアルジャジーラ(の英語放送というのはあるのでしょうか?)を見ていれば分かるのかもしれません。したがって、助けてやったのに、という首相や官房長官発言は、またもや「お門違い」でした。これは、日本のマスコミでは報道されませんねぇ。


6)メディアについて。ワイドショーは随分にぎわって、はしゃいでいたようですね。私の、まあリベラルな友人からも、高校生の家は共産党一家、という話を教えてもらいました。格好のネタだったと思います。今週の週刊新潮の見出し(これもURLしゃくだから書いてませんが)では、他の二人についてもプライベートを暴いています。まさにセカンドレイプですね。田中真紀子の娘のプライバシーが最高裁で裁かれるのに比べ、「平民」のプライバシーは何と軽いことか。結局、最後はパワーです。裁判所を動かすほどのパワーがあること自体、プライバシーが制限される要件ではないですか?
それにしても、3人を褒めそやし、お涙ちょうだいを訴え、最後にはたたきつぶす、何ともメディアは気楽な商売です。


7)それを見ていたおじさんおばさん。結局、この「劇場空間」の共犯者と化してしまった。責任ありますね。この事件に限らず、はたまた右も左も、カタルシスを感じるために世辞を論じることがほとんどのように思います。つまり、浮き世の憂さ晴らし、溜飲を下げたいだけ、だったりします。拉致の被害家族がどうも韓国朝鮮人に対し差別意識のある右派の格好の対象であったり、天皇家にまた女の子が生まれると何となく気持ちよくなる左派といい、自分は完全に安全な場所にたっている(と思える)場合において、人の不幸は蜜の味、だったりする場面が、かなりある。しかし、批判するのは簡単だけど、これだけマスコミに囲まれた生活をしていると、その影響を限定化するのはかなり困難だと思われますね。今回のこのらんちき騒ぎは、東京でテロがあったら、もう少しみんな真剣に考えるのではないでしょうか?


8)イスラム聖職者協会からの依頼。彼らは最初の3人が解放されたときに、日本人はイラクのことを心配して働いていて、戦争にも多くの人は反対していることを知って、解放した、日本に戻ったらこちらの悲惨な状況を伝えてくれ、と頼んだそうですね。これが、いま、3人が缶詰にされている理由のひとつかもしれません(もちろん、これ以上マスコミにさらされると死んでしまうかもしれないことが一番の理由でしょうが)。政治家たちの「イラクへの入国禁止を法制化しろ」という話も含め、知られたくない状況がもっとあるのでしょうか。


9)自衛隊の撤退問題についてですが、2つの手があったと思います。今回の人質事件と関連して主張するか、切り離して主張するか? 私は後者の立場です。
私にとっては、人質がでたのは自衛隊がいるからだ、というロジックは弱い、とってつけになっている印象があります。自衛隊がいなければ彼らは人質に取られなかったか? 自衛隊を撤兵させれば人質は解放されたか? 私にとっては???です。紛争地はそんなに合理的ではないと思います。イタリア人の捕虜が一人だけ殺されましたが、目つきが気にくわなかった、理由で殺されたかもしれません。
さらに、人質事件に絡めることで、「テロに屈してはならない」理論が横行するわけです。これは、結構一般の人々のカタルシスを刺激します。都知事がこう叫ぶことで、そうだそうだ!と拳を挙げる人は多い。そんなに威勢がいいならお前がいけ!と思います。
すでにイラク全土が戦闘地域であることは明白です。これはイラク派遣の法律要件を犯しています。このことだけで自衛隊はクェートやUAEに退くだけの十分な理由があります。「国内法により、これ以上いられない」でOKじゃないですか。法律は守りましょう。法治国家なのですから。ビザをもってないだけで鬼の首とったように、「だって“不法”滞在」というくらいなら、自衛隊の方がよっぽど「不法滞在」です。


いろんな観点の話を聞きますので、まだまだありますが、個人的意見としては、とりあえずこんなところでしょうか。