ネット世代とPC世代ということば

またまた、梅田望夫さんのblogで、「インターネット世代論・再び」というテーマが語られています。先日の「電車男」について、40代の私にとっては、“別の”世界のこととしてまったくもって興味深いのです。


この中で、Programmer'sEyeの「インターネットを生活の場に出来るか?」。というblogからの指摘がほんとに納得させられます。以下、特に興味深い指摘です。


(踏み絵) 「あなたにとって、ネットは現実の断点を繋ぐ「通信機」ですか?それとも、ネットは人生に於いて生活の価値を感じる「社会」ですか?」
(世代間仮説) 「コンピュータ世代の人は、コミュニティに於けるコミュニケーションを、「価値ある情報に近づくための手段だ」と考えることが多いようです。情報交換を重ねて、価値ある情報という「結果」が得られれば目的が達成できる、その過程に於ける対話は手段でしかなく、結果が生み出せない対話は価値が薄い、と。ネット世代の人は、コミュニティに於けるコミュニケーションそれ自体を、生活に於ける「娯楽」の要素として捉えていることが多いようです。そこに於いては、より良い情報が引き出せるかどうかは「二の次」であり、その過程に於ける対話の連続そのものに楽しみを見出しているのだ、と。」
自分が、ネット世代かPC世代かを知っておくことは、今この世の中で起こっていることのある部分は、すでに感覚的にはまったく分からないことだという自覚を持つ上で、重要に思います。


私のインスピレーションは、今回の佐世保での殺人事件に及びます。テレビでいろんな人がネットの影響について論じていますが、「生まれて以来ずっとネットの中で生活している世代」の感覚は、きっとそう簡単には分からないだろう、ということは、先日の「電車男」の話を見ても前提のように思います。
誤解を恐れずにいえば、「いじめられて仕返しをする」心理の方が、「自分の人生をネット上の人々に相談して決める」心理よりも、“わかりやすい”ような気がするのは私だけでしょうか?