駄目なことは駄目

臨床心理の近藤卓氏親からの無条件の愛があるから、無条件の禁止がある、と説きます。これは、無条件に選ぶことなしに誕生があり、選択の余地なくすべての人が死を迎えるからだ、と言います。無条件の禁止、とはたとえば、人を殺してはいけない、とか、そういうことです。


論理的には、理由付けとしてはそれほど説得力のある話ではないのですが、結局、人間がなぜ生まれるのか、何のために生きるのか、なぜ衰え、なぜ死ぬのか、といったいのちに関わる問いには、はいどうぞと出せるような答えはなく、みんなで一緒に考え続ける、いわば「神秘」に属するようなものなので、こうした理由付けでいいのではないかと思っています。


キリスト教では、神様が言っているから駄目、ということになりますが、キリスト者だって人殺しもすれば、戦争の先頭に立ってる人もいますから、これは、一宗教を超えた、生き方とか、霊性の問題といえるでしょうか。だからいのちに関わる問題を考えることは、ethicsというよりは、spiritualityのようでもありますし、その理由付けもlogicよりはartの領域に入っていくように思います。


理屈っぽかったですかね??? 書きたかったのは、繰り返しますが、親の無条件の受容に対応する、無条件の禁止がある、というお話、でした。