『キリスト教を問いなおす』を問い直す
問いなおす、というのは大げさですが、土井健司の『キリスト教を問いなおす』という本について、同世代の研究者ということで、わたしも読んでみようと思って、読み終えたところです。
玉川大の先生でキリスト教学を、おそらくほとんどが信者でない学生たちに教えている授業での対話を元に書いた本のようです。授業の際に、「キリスト教の悪口、批判を書きなさい」という無記名のアンケートを行い、それに対する答えに答える形で書かれています。らすかさすさんが書いているとおり、こうした形で、「一般の日本人」、特に若い人たちの意見を聞くことは、内向きになりがちな日本のキリスト者にとって大事なことだと思います。それは新聞にも言えることだと、反省し参考になります。
さて、内容についてですが、生徒からの応答というのが、「平和を説くキリスト教が、なぜ戦争を引き起こすのか?」、「キリスト教の説く愛とは何か?」、「神は本当にいるのか?」、「祈ることは頼ることか?」、などという形で、それに答える形で書かれています。
皆さんも読んでいただくといろんな感想があると思うのですが、私の第一の感想は、非常に守りに入っている感じだなぁというものです。アポロジェティック(護教的)ということばがあるのですが、言い訳がましい、という印象です。
確かに、誤解を解かないといけない、という側面はあるかもしれませんが、「十字軍なんてひどいことをやったじゃないですか」「いや、あれはキリスト教の本質じゃなくて、人間は罪を犯すものだし・・・」なんていうのがどうも言い訳がましいような気がします。
多分、スタート地点として、彼らは上のような疑問や批判をキリスト教に対して持っているのですが、じゃあそれに対し、彼らは答えを期待しているか、というと、多分そうでもないと思うんですね。特にキリスト教について知りたいわけでもなく、授業(必修の?)で問われたから答えただけ、というところもあるのではないかと思います。
信者でない人たちにアプローチするとき、こういう「ほんとのキリスト教は・・・」と説明する手も一つあるでしょうが、もう一つは、グリフィン講座などでもやるように、自分の歴史を振り返り、そこに働くいろいろな恵みに気づく、といった自己発見的なアプローチの方が、現代人向けかなぁと思います。もちろん授業で、しかも大教室なんかだと、こんなことするのは難しいし、大学もそういうことを望んでないかもしれませんが、意外と効果的かもしれませんけどね。“キリスト教的な価値”、を体現している人々の仕事の様子なんかも、「キリスト教の偽善」の疑問に対して説明するよりも、生徒の腑に落ちるようなところもあるんじゃないですかね。