「亡命」で思い出した、ヨーロッパはいいなぁ、な話

quelo42005-01-17

仙人さんが亡命話を持ち出されたので、JMMデンマークの教育制度が紹介されているので、ちょっと紹介。

友人がパリで子どもを小学校に入れていたのですが、ここもなかなかよかった。「私立」「公立」の区別がなく、ある一定の広さの中のどの学校に行ってもいいわけです。子ども一人あたりの教育費が支給されていて、それはどの学校に行っても等しく払われるので、親の負担も一緒。だから公立の学校に行く子もいれば、キリスト教系の学校に行く子もいて。学校制度はヨーロッパからのものだからでしょうか、試行錯誤のあとが感じられます。


JMMの過去ニュースは相変わらず見られないので、ちょっと長い引用で以下。デンマークの方はこんな感じです。書き手は高田ケラー有子/Yuko Takada Kellerという造形作家の方です。


 今回はデンマークの初・中等教育制度全般について書いてみます。デンマークの義務教育は日本と同じように9年間で、日本の小中学校にあたるフォルケスコーレという公立学校と Privatskoleという私立学校がそれにあたります。児童数全体の89%が公立に、残りの11%が私立に通っていますが、日本のように経済的に余裕のある家庭が私立に通わせる、という意識はなく、私立でも公的援助が大きいので、機会としては一応均等に与えられているという感があります。公立学校は無料、私立でも月額2〜3万円というのが標準的なところです。同じ地方自治体内なら、公立でも数校ある中の自分に合う学校を選ぶ事ができます。デンマークで言う義務教育とは教育義務であり、就学義務ではありませんので、家庭内での教育も認められています。また9年間は義務でありますが、その上に10年生というものがあります。約65%の生徒が9年生で初・中等教育を修了するのですが、残りの約35%の生徒は教師による指導を受けたうえで、高校進学や職業教育に進むための準備を充分にするため、任意であと1年を継続して10年間で初・中等教育を修了します。

これ、パリの話と同じシステムですよね。いいですよね。日本でも、不登校になって彼らのための東京シューレのような学校に行くと、義務教育の年代なのに、すごく高い授業料になるんですよね。最近補助金が増えてきたらしいですが、まだ公立小中に通っているのとは雲泥の差でしょう。
このシリーズが始まった最初の頃には、この幼稚園で、週に数回(だったと思う)森に行って一日中授業をやる話やら。日本なら自由学園やら、必死でやってる運動を、あちらではどこの幼稚園でも普通にやってる感じで、さすがヨーロッパ!ふうの話がたくさんあったのを覚えています。


 フォルケスコーレ(公立学校)は、日本で言う小中学校が一緒になっているのですが、息子の学校は6年生までしかありません。田舎の学校では生徒数も少ないのでよくあることですが、7年生以降は別のフォルケスコーレに行くことになります。通常ですが、実は9年生までクラス替えもなければ、担任も同じです。ゼロ年生に限っては担任はゼロ年生のみの担当ですが、1年生以降のクラス担当は9年間同じ先生になります。従って、クラスメートは一生の付き合いになる深い付き合いにもなり、また教師は1年生からずっと同じ子供を見てきているので、彼らの性格から能力や将来の夢に至るまで、誰よりも良く知っている存在となり、進路の指導など適切なアドバイスも与えやすいようです。息子の場合は6年生まではその形で進み、7年生からは新しい環境になるということになりますが、それもまた変化があっていいのでは、というふうに捉えています。


 教室の並び方にも特徴的なことがあります。以前にも少し触れたことがありますが、学校によってそれぞれ違いはありますが、いくつかのセクションがあって、そこを中心に教室が取り囲むように配置されているような様式が多く見受けられます。セクションの中心は多目的に使える、住居で言えばリビングルーム的な機能を持ち、この空間が雨の日の遊び場になったり、クラス単位での家族も含めたパーティーなどをする時に使ったり、保護者会など多目的に使われています。また、この空間を取り囲むクラスは一つの学年ではなく、数学年に渡る縦の関係も大切にできる空間となっています。息子の学校では、息子のクラスがゼロ年生A組なのですが、1年生A組と2年生A組が同じセクションにあり、この空間に置かれている卓球台を通して、コミニケーションが深められています。別のセクションではゼロ年生から2年生までのBクラスが集まっているという形で、日本のように片側に廊下があって、そこに同じ学年の何組かが横並びになっている構造とは、その意識が違うように思います。学校という大きな家の中で違う学年が集うことのできる要素を持っています。建物も平屋が多く、ここでも平らな意識を感じるのですが、もちろん、これは土地が豊富にある田舎の話ですし、コペンハーゲンなどの都会では平屋というわけにはいきません。

デンマークの教育方針の基礎を築いた人物として、19世紀のグルントヴィとコルという2人を紹介しています。なるほど、森を歩く理由もここにあるようです。日本なら、さながらまず海に出て、という感じですね(私は海沿いで育ったので)。


 グルントヴィは「生きた言葉」ということを提唱し、ラテン語教育を批判しました。またそれは「生きた教育」という意味でもあり、ホルケホイスコーレ(国民高等学校)という成人教育に関する思想を打ち立てました。学んだことがその人の人生に活かされないのでは意味がないとしたグルントヴィは、それまでの古い教育方法である、ただ読んで知識として詰め込むだけの教育ではなく、「経験することから学ぶこと」の大切さを唱えます。コルはその思想に共鳴しそれまでの読み書き中心の教育方針から、まず外へ出て森の中を歩いたり、自然とふれあうなど、体験したことを糧にしながら、読み聞かせる教育論を実践しました。それまでの主流であった、「学校教育は人生の位置づけを決めるもの」(聖職者や上流階級のいわば学力社会的な思想)ではなく、「経験こそが人の人生にとって大切なものであり、経験することから学ぶことで、自分らしい生き方を探す」という方針で、「想像力は知力に勝る」という考え方を持っていました。グルントヴィが大切にした「生きた言葉」によるふれ合い、生き生きとした教師と生徒、生徒同士の対話も実践しました。試験によって生徒を管理したりするのではなく、またどれだけ詰め込まれたかを試すことが大切なのではなく(本当の能力が測れるものではない)、どれだけ自分で考え、考えたことに責任を持ち自分らしく生きる喜びを見つけることこそが、学びの形であるという教育方針を打ち立て、それが今の学校教育のなかにも生きているのです。

学校をつくる前提としての思想が元にあって、それに沿って学校が運営されている。日本では、まず工業生産といった経済的理由から、まず学校制度が導入されて、後付でそれに意味が付与されてる感ありですね。だから教育論議といったら、「公のために犠牲を払う」という詭弁を使って、「黙って権力の言うことに従え!」的な「愛国心」教育にしか議論が発展しないわけですね。国全体が豊かになっていくイメージがなさ過ぎるんじゃないでしょうか。とりあえず自分だけは甘い汁吸っておこう、という感じね。


 デンマークの家庭では、必ずと言っていいほど家族そろって夕食をとります。ごく当たり前のことです。働き手の就業時間も朝8時から午後4時までといった所も多く、残業もほとんどなく、子供と向き合う時間をしっかりとっています。もちろん職種にもよりますが、いわゆる普通のサラリーマンは土日は一切仕事をしません。友人との食事なども外でするのではなく、自宅に招いて家族共々いっしょに楽しむ機会を多くとります。そうした家族のあり方も、この国の教育方針を支える根底になっているように思います。

まあ、そうでしょうねぇ、と思う反面、だんだん日本もこれに近づいている感じはありますね。私が最初に1984年にサラリーマンになった頃は、今の私の世代の先輩たちは土曜も会社の人とゴルフ、そのまま日曜まで徹マン、という生活でしたから、いつ家族と話すんだろう?的生活でしたね。今そのノリの人は少数派になってきてるんじゃないでしょうか。

というわけで、同じようなことが合衆国にもある感じします。もちろんアメリカバンザイ、日本はダメダメ、とはこれっぽっちも思いませんが、障がい者をもつお父さんが、やっぱりアメリカは9勝6敗、と表現していたことがあります。相撲のたとえです。アメリカに差別がないと決して言わないが、でもやっぱり障がい者と共生するのはずっと慣れている。みんな普通にバスに乗るときに手を貸してくれたりして、妙に可哀想がったりしない。日本は6勝9敗、障がい者を見る目はまだまだ冷たい、そうです。ちょっとの差とはいえ、アメリカは勝ち越し、といってました。