中国人のデモ


もう1ヶ月前の話になりますが、中国でまだ盛んにデモをやっていた時代(何だか、遠い昔のことのような気もしますが・・・)、Japan Mail Magazine では中国にいる日本人からのいくつかの声が掲載されました。「今さら」な情報とも言えますが、やっぱり立ってる場所によって、見える景色は全然違ってるいい例だと思うので、書き留めておきたいと思います。


まずはふるまいよしこさんの第一報。JMM4月14日号からです。(毎度のことながら、JMMのバックナンバーはサイトで見られないので、ちょっと長い引用になります)

 さて、4月9日に北京で起こった反日デモ行進」だが、何人かの外国メディア関係者にも日本人としてわたしも感想を尋ねられた。それに答えようといろいろ考えてみたのだが、わたしの頭にはおちゃらけ」という言葉しか浮かばなかった


 わたし個人としては、日本国内でも大きな論議を引き起こしている、首相の靖国神社参拝、歴史教科書の問題、慰安婦や戦争の個人賠償に関する裁判などについて、中国人が意見を発表し、声を揚げることに反対はしない。その結果、反日デモ日本製品不買を呼びかけ、それに応じる人が出現することもありえるし、それはそれで彼らの意見発表の自由だと思っている。日本にも「××社の製品は買わない」というポリシーを持っている人はいるし、人はそれぞれ、買う買わないは自由だと思う。


 しかし、今回のデモをわたしが「おちゃらけ」と感じたのは、わたしが日頃から感じている浅はかな、「自由」とか「民意」の名に力を借りた、現代中国独特の「慣性」を見たからである。そこには現在の中国社会の矛盾が内包されている。日本のマスコミでも現地特派員たちはそれに気付き、それを伝えようと努力していることは、ウェブ版で読んでいても分かるのだが、悲しいかな、日々の原稿の締切時間や記事枠、またはまず時事ニュースにその重きを置こうとする習性のために、その深層部分が一般の読者にうまく伝わっていない気がする。その結果、安倍晋三氏の「週末のデモ行進は、中国国内の収入格差の問題など社会問題に対する怒りによって引き起こされたものだ」(ニューヨークタイムズ「東京、中国の反日騒動に抗議」・4月11日)などという、とんちんかんな発言を引き出すことになったのだろう。

おちゃらけ」とはどういうことか? 中国が急速に近代化したために生じた「貧富の差」に対する不満から、政府への反発を日本に照射したためのデモじゃなかったのか?

 確かに中国には収入格差という矛盾があり、ある意味社会問題化している。それはこの「大陸の風」でも何度も触れてきた。しかし、今回の事件を「収入格差を含む社会問題に対する怒り」と言い切ってしまうのは全くの間違いだ。


 各国の報道を読んでも、実際に現場で取材をしたメディア関係者(非日本メディア)の話を聞いても、デモの参加者はほとんどが20代から30代の、大学生や中国では「白領」と呼ばれる人だちだった。この「白領」とは英語の「ホワイトカラー」を直訳したものであり、中国では大学や大学院を卒業し、大企業で高給をもらって働いている層で、日本の感覚では「ヤングエグゼクティブ」にあたる。全国的に大学進学がまだまだ激烈な競争の結果によるこの国からすれば、首都北京に暮らす大学生やヤンエグたちは、中国にとっての「期待の星」であり、彼らもそれを十分認識している。

つまり、経済格差によって取り残された「負け組」は都市に住んでいるわけではなく、インターネットの情報では決して速攻で行動を起こすことなどできない、デジタルデバイドで取り残されている人たちなはず。そうして集まれるというのは確実に「勝ち組」の方、だというわけです。しかり!であり、これは北京のデモだけに限らなかったことらしい。

 新しい時代の波の中で生まれてきた、現代の新たなエリート層といえる大学生やヤンエグのために常に中国政府は新しい社会体制開拓をしてきているものの、いかんせん、まだまだ旧態依然とした体制が残っているために、膨張を続けるヤンエグたちはまだ窮屈さを感じることもある。その窮屈さのうっぷん晴らしをさせるために、「愛国」を叫び、強くなった中国を再確認させようとしている??それが多くの特派員たちがいわんとしていることなのだ。


 わたしが先週のデモを「おちゃらけ」と言い切る理由もそこにある。彼らは中関村という、中国が今最も力を入れて発展させようとしている産業であるテクノロジー産業地区でまず気炎を挙げた。そして「日本製品不買」を叫んだ。そして、デモ隊が沿道の日本メーカーの広告や和食レストラン、日本車を壊しながら前進を続けたことはすでに報道されている。が、不思議なのは、そのデモ隊の参加者たちが「日本製品不買」を叫んで自分の所有する日本製品を持ち出して、それを壊したという話はどこにも書かれていなかったからだ。


 先にも書いたとおり、すでにマイホームやマイカーを手に入れた彼らの消費欲は今の日本に勝るとも劣らない。中国の大都市の消費はそんな彼らによって支えられている。そんな彼らの身辺に、日本製品が、または中国で生産された日本ブランド品が全くないはずがない。なのに、そんな彼らが「日本製品不買」を叫んで商店の店先から日本商品を引っ込めさせ、日本製品の広告を破り、和食レストラン(これもまたヤンエグたちの新たな消費メッカである)の窓を叩き割る。そして家に帰れば、ドアを閉めて「ああすっきりした、愛国活動だ」といって日本製品でなごむという構図。


 たとえ本人が破壊行為に直接関わらなかったとしても、そんなデモに参加して破壊活動に声援を送って溜飲を下したのであれば、なにがヤンエグだ、なにが大学生だということになる。つまり、中国社会がお金と知識とを注ぎ込んで育てている高学歴の「期待の星」は、そんな自分の行為に矛盾を感じるようなまともな思考能力も持たない、そして彼らが背負う、またはエグゼクティブとして責任を負う社会、そして多くのブランドが現地生産という経済構造についても、まったく何の理解もない人たちなのだということをあのデモで露呈したことになる。自分の金で買った日本製品は大事にしたいが、他人のものなら壊してもヘーキ、それがデモに参加した大学生やヤンエグの考え方だとすれば、ちゃんちゃらおかしいではないか。

もうひとつ、香港の中国人による批判的な見方も紹介されています。

「中国外交部スポークスマンは、中国国内で連続している反日ブームは民衆による自発的なものだと強調している。しかし、何を『自発』といい、何を『官発』というのか、中国の国情からすれば、それはほんのちょっとの差でしかない」(明報「呉志森:反日幼稚病」・4月12日)


「……反日群衆の義和団的情緒は、一旦爆発すると収拾がつかなくなる。彼らは日本の電子製品を軍国主義の鉄砲に見たて、日本レストランを中国侵略の指揮部に見たて、日本人を日本皇軍に見たててしまう。このような白黒のない、感情をむやみに爆発させる暴民行為はただ自国民を巻き添えにし、さらに中国に同情する日本の友人の感情まで傷つけてしまうことになる。グローバル化された21世紀の今日、このような『反日幼稚病』は他人の物笑いになるだけだ。親愛なる中国の同胞たちよ、キミたちの反日をもっと高いレベルに引き上げることは出来ないか?」(同)

結局、北京で言えば、人口2000万人のうち、デモ参加者は、2万人。ふるまい氏は、「破壊活動を繰り返し報道したマスコミには、次に『なぜデモに参加しなかったか』をきちんと取材していただきたい。すでに報道された映像や画像にはデモ参加者2万人が映っていた。しかし、それ以外の、2000万人もの日本人が見知らぬ北京の人々の姿はなかったのだから。そうすることで、そこからまた何かの答や方法が見つかるはずだ。」といっています。


日本で見ていた見方とずいぶん違うでしょ。このぐらいの報道、あれだけ長くなっている夕方ニュースの時間に、できないかなぁ。