広島にて

quelo42005-08-06



被爆60周年の取材で広島に来ています。すごい人です。大筋の取材とは別に、この大きなうねりの中にいると、大きく2つのことを感じます。

  • たくさんの人、特に若い人たちが集まって、実際の体験を聞いたり、それを元にお互いに交流することはやっぱり価値があること。
  • それはそれとして、原水禁原水協の集まりに象徴されると思うのですが、年中行事となっているようなところがあって、メディアとしては書くことないなぁ、ということ。「平和のために」は、みんな思っているわけなので、それが伝わるように、何か工夫がいるでしょう、とは思います。そう思ってみると、第60回、は区切りがいいけど、61回はなかなかつらく(地元の人がいっていましたが)、73回、92回・・・と、どこまで続くんだろう、という感じがちょっとしたりもします。とうろう流しなども、「あれは観光化されているから・・・」と、やっぱり地元の人がいっていたりして。予定調和的に、「ヒロシマ・長崎を忘れるな」から、一歩進んだ平和運動が展開されるのでしょうね。


そういえば、ニュース23の拡大版で、筑紫哲也氏らが、原爆の開発者の一人でエノラゲイにも登場していた科学者を被爆者と対面させる企画がありました(見た人も多いと思います)。


被爆者の2人が悲惨さを伝え、米国人科学者が「私は謝罪しない」ときっぱり言って、終わります。番組側は、悲惨な原爆の様子を伝えれば、情にほだされて、老科学者が、「やっぱり私が悪かった」という想定の番組だったのかなぁ、と思いました。被爆者の2人は、あの惨劇を体験した自分としては、原爆を絶対に許せない、と繰り返しましたが、その気持ちは伝わらなかった、というような構成です。


しかしその、「謝罪しない」の理由は、「私の多くの知人たちは、真珠湾で殺された」というものでした。もしかすると、被爆者2人は、真珠湾について何か話したかもしれないのですが、その部分は放送されず、「私の仲間は真珠湾で死んだ」という米科学者の怒りは、番組上、まったく無視された形でした。


双方とも、自分の感情を吐露し、同時に相手の感情をまったく意に介さない、という構図で終わります。これが意図されたものかどうか、そうじゃないだろうと思っていますが、この構図は象徴的だなぁ、と思いました。やはり、怒りが渦巻いている間は、相手の感情など、柔軟に受け入れる心が生まれるわけはない。自分の感情が相手からまったく拒絶されると、さらに深く傷つくと思います。でもやっぱり、まず初めは感情の吐露合戦が対話のプロセスを開くかもしれないし。それを支援する方法と援助者が必要でしょうね。もう60年経ってるんですが、本当に和解するのって、人生の長さよりそのプロセスは長そうです。