ミメティスム・・・アラン・ブロサ

quelo42006-02-23



朝日の夕刊コラムにパリ第8大学の、政治哲学者、Alain Brossat 氏のインタビューが載っています(相変わらずネット上では見られないので、多めに引用しますが)。<著作の邦訳はないようで、『世界』2月号に「フランス暴動の真相−誰が火を放ったのか」があるそうです。写真は、L'Epreuve du desastre: Le XXe siecle et camps, 1996、ジェノサイドをはじめ、20世紀が犯した罪についての分析だそうです。日本のamazonでは買えないみたい>
彼は mimetisme という概念を唱え、それは

「わが国だけが悪いのではない。他国もやっている」といった論理だ。「仕返し主義」「模倣の論理」などの訳語が研究者の間で候補にあがっている。フランス語の「mimer(模倣する)」から派生、元来は生物学の「擬態」という意味だ。

そうです。子どものけんかで、先生がどっちが先にやった、と聞いたときに、お互いに「相手が先にやった」と言い争うような状態をいうようで、日本の場合、

植民地支配、アジアや太平洋での戦争などを巡り公然と繰り返される日本の政治家の問題発言などは、そうした「校庭シンドローム」ともいうべきレベルの議論だ、とブロサ氏は指摘する。「アジアの植民地支配を先に始めたのは、ぼくたち日本人ではないのに、何でいつもぼくらだけが悪者にされるんだ」とか、「確かに殴ったかもしれないが、ぼくらがやった以上に、ぼくらだって殴り返されたじゃないか」とか。
過去をめぐって日本とドイツの違いがもっとも顕著に表れるのはこの点だろう、とブロサ氏は付け加える。

なるほど! これは、斎藤美奈子が言う、「じゃあじゃあ攻撃」*1と同じことじゃないか!


ドイツとフランスが領土争いを延々と続けたアルザス・ロレーヌ地域に言及していて、2回の大戦で次の戦争は破滅だと本当に思っている西欧の人たちにとって、領土紛争はもうあり得ないことのようです。その象徴として、この中心都市ストラスブールEU議会があるのだそうです。


一方で、東アジアでは「戦争が可能なオプションとして残っているから」だろうと彼は言い、相変わらず、竹島北方領土尖閣列島について各国で合意できそうなムードはなく、政治家はそうした歴史や領土で人々の偏狭なナショナリズムをあおっているとのこと。
多分問題は、政治家の方じゃなくて、「戦争はこりごりだ」という気持ちよりも、そうした「地域の覇権を握る」といった言説にのってしまう国民がいるから、政治家もそちらの方向に動くのかな、と思います。ただ、これは東アジアだけが遅れているということではなく、バルカン半島では状況は同じだし、フランスにしても、アフリカにある旧植民地との問題は解決してない、とも言っています。


というわけで、ドイツと日本の戦後国際政治の違いでいつも出る話題ですが、ブロサ氏も「2度経験しないと分からないものでしょうか。日本は、もう一度の経験が必要なのですか・・・。空恐ろしいことです」と結んでいます。

*1:ブラックバス釣り愛好家が「生態系が壊れる」と批判されることに対し、「じゃあ、湖畔の工場の排水はどうなんだ」とか、「じゃあ、アフリカマイマイを輸入しているペット業者はどうなんだ」といった論点のすり替え攻撃に出ること。『実録 男性誌探訪』より