右派論客陣の問題

quelo42006-06-05



5月9日の朝日夕刊に宮崎哲弥氏が「進む保守思想の空疎化−『新たな敵』求めて散乱−現実主義すら失調」という評論がありました。
自分の仕事の範囲で、保守、ないしタカ派で論陣をちゃんと張ってくれる人がいなくて困っていましたが、これは私の周りだけの問題ではなく、どうも現在の日本の保守陣営全般の問題なのかなぁ、と思う次第です。相変わらず朝日のコラムはネット上にないので、ちょっと無茶ですが、とてもいいものなので全文を以下に採録させていただきます。当然(c)2006朝日新聞社宮崎哲弥、です。<写真は最新刊『M2:思考のロバストネス M2』宮台 真司 (著), 宮崎 哲弥 (著)


 この10年は戦後保守の最盛期だった。保守的な言説が広範に浸透し、日本の政治基軸は確実に右にシフトした。だが、皮相な盛況の陰で、思想内容の空疎化が進んでいるのではないか。90年代末あたりから保守陣営内でささやかれ始めた危惧が、いま現実の危機として露呈しつつある。
 それは単に「新しい歴史教科書をつくる会」の西尾幹二名誉会長の辞任、「離脱」で表沙汰となった内紛のような、一現象を指して言えることではない。だが、保守勢力による実践活動としては稀な広がりを見せた「つくる会」の内訌に伏在する思想対立が、保守が瀕している危殆と全く無関係ともいえない。


色あせた「反響」の旗印
 何が危機なのか。どのような危殆なのか。
 そもそも、保守という意識のかたちは、明確に名指しし得ないもの、はっきりと言挙げできないものを中心に抱え込んでいた。文芸評論家の江藤淳氏はかつて、これを「既得権益を持ったエスタブリッシュメントの感覚」と仮設した。「主義」として立てることができない、名状しがたい感覚、感性、情緒、情念などが保守という態度の中核にあったのだ。だからこそ保守は、硬直したイデオロギーや現実から遊離した理想論、理性に過剰な信頼をおく社会設計主義に対するアンチテーゼとしての役割を果たしてきた。
 この「アンチ」の共通性、もっとはっきりいえば「反共」(「反左翼」「反進歩」「反リベラル」)の旗幟によって、保守陣営はかろうじて纏まりを保ってきたのである。
 しかし、東西冷戦の終結、「9・11」とそれに引き続くアメリカの主導する対テロ戦争の時代を経て、保守をめぐる環境は様変わりを遂げた。
 左翼理念の失墜、革新勢力の退潮に従って、「反共」という旗印が色褪せてしまい、「〜に対する保守」という大きな枠組みが揺動しはじめた。
 それとほぼ時を同じくして、保守の無規定性を克服し、思想としての充実を図ろうとする動きが出はじめたことは注目に値する。西部邁氏、佐伯啓思氏を中心とするグループがその担い手だった。主に文学者によってリードされてきた日本の保守思潮にあって、西部氏らは経済学や社会哲学を出自とした。
 彼らは、関係概念としての保守のあり様に不満を抱き、自性的、体系的な「主義」への再編を目指した。「〜に対する保守」から「〜へ向かう保守」への脱皮を志向したのである。
 そこで、従来は自明視されていた「伝統」や「習慣」を反省的に捉えなおし、高度に抽象的な理念として再提示する方法が採られた。その再帰的な構成は、確かに保守主義という名に相応しい思潮的内実を備えていた。然るに、保守派における理解や支持は十分に広がらなかった。


自律的な指導理念欠く
 他方で左派、革新勢力の衰退によって、保守陣営は「つくる会」に代表される草の根的な運動の足場を獲得した。しかし、自律的な指導理念を欠いたその運動性は、インターネットという感情の増幅を特徴とするメディアの普及とも相俟って、「新しい敵=新しい規定」を求めて散乱していった。
 中国や韓国、ジェンダーフリー教育、マイノリティ運動、女系天皇制、媚中派など、「敵」を見いだしては、その都度、対象に逆規定されるような思想実践では、やがて細分化と惰性化とを避け得ないであろう。
 しかも、小泉純一郎政権の改革政策によって、戦後体制における既得権益のあらかたが掘り崩され、保守を支えてきた物質的基盤も失われた。
 さりとて、英米保守主義のように、私有財産の擁護を旨とし、階級形成を全面肯定することもできない。
 近年のジェンダーフリー・バッシングに伴う、性教育に対する一部保守派の攻撃の様子を見れば、もはや保守の美点の一つであった現実主義すら失調しているのではないかとすら思える。
 適切な性教育が、性病の蔓延や妊娠中絶の増加を食い止め、性交の初体験年齢を上げる効果があるとしても、彼らはほとんど聞く耳を持たない。純潔を教えさえすれば、純潔が実現すると信じているかのような彼らの態度は、平和さえ唱えていれば、それが実現すると信じた空想的平和論者の姿勢と瓜二つだ。
 そこに自省の契機も、熟慮のよすがもなく、ただ断片的な反応ーーそれもしばしば激越に走るーーしか看取できないとすれば、それらはもはや保守とも保守主義とも無縁の、単なる憎悪の表出に過ぎない。


また、もう一つ、日経に4月末に出た、「ナショナリズムは損よ」という以下の論調も、併せて読むことができると思います。

「ナショナリズムに利益は少ない−ルール違反への対処と、感情論とは別物だ」nikkeibp.jp Mail 04/27 夕刊、by酒井 耕一