「いじめいじめられる関係式」かぁ
書評です。「人は『いじめの時間』で賢くなっていく:人間の関係式を掘り下げる7つの短編小説」(日経ビジネスオンライン2006年8月23日)
新婚当初、奥さんが会社のいじめで心の病になってしまった記者が、その体験と絡めつつ、この本に書かれている、「いじめいじめられる関係式」について、理解を深めていく、という書評です。
私は、この時、ようやく理解した。本書は確かに、実人生の陰の一面を掘り当てていたのだ、と。いじめる側の人達も、きっと誰かにいじめられている。現実の私達だって、「いじめいじめられる関係式」の中で生きているのだ。
しかも、人は因果なことに、いじめられることには敏感だが、いじめることには鈍感だ。
だから、取引先からプチミスを大袈裟に怒られた日の晩、「ゴーヤーチャンプルに卵の殻が混ざってるぞ」と妻にネチネチ文句を言う。
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妻がいじめられたことと本書のダブルパンチで、私は気づいた。「いじめいじめられる関係式」は、人々の間に実在する式であり、かつ、自分を相対化する方程式でもあるのだ、と。
言われてみれば「そりゃそうだ」な話ですが、これも人間の条件だなぁ、と。
子どもが学校でいじめられると困るなぁ、と、漠然とした恐れを抱いていた頃もありますが、それもまた人生としか言いようがない。いじめいじめられる関係式に陥ることもあり、本当に助けられ支えられる至福の関係もあり、どちらも人間なんだなぁ・・・(みつを風で)