「8月15日と南原繁を語る会」の話、by立花隆

quelo42006-08-18



またまた、日経の立ち話(←正しくは立花氏)のコラムで、「8月15日と南原繁を語る会」講演内容についての紹介はありませんが、今後ここで参加者の感想など掲載される予定だそうです)について、いくつかの話が書かれています。「立花隆:小泉首相“開き直り参拝”、日本が見失った過去と未来」2006年8月17日

なぜいま南原繁なのかというと、この人こそ、その原点となる地点で、敗戦ショックでみな茫然自失状態にあった日本人たちをはげまし、復興に向けての第一歩を踏み出させ、同時に進むべき方向(新しい国造りの方向)をさし示した人だったからだ。


南原繁は、憲法教育基本法など、戦後日本の基本的骨格をなした法律の策定に中心的にかかわっただけでなく、それらの法律の制定以前の問題として、滅亡した大日本帝国の欠陥(システム上の欠陥というよりむしろ、日本人の精神上、マインド上の欠陥)をどこに見て、日本を再建するためには、その欠陥のどこをどう改めていかねばならないかを説いた人だった。滅びた国家をどうすれば再建できるかを説くことで、国家の死のドラマを国家の再生のドラマに打ち変えた人だった。そのような意味において、戦後日本の出発点で、比類なく大きな役割を果たした人物だった。


で、講演者はこんなメンツ。

前東大総長の佐々木毅が「政治学南原繁」について語り、政治学者の姜尚中が「南原繁憲法9条」について語り、哲学者の高橋哲哉が「南原繁靖国問題」について語り、大江健三郎が「南原繁と倫理的想像力」について語るという、大変に知的にスリリングな集会となった。

ここで、高橋哲哉氏の講演について、詳しく紹介されています。

記録フィルムが明らかにした軍事施設としての靖国神社
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私がとりわけ強い印象を受けたのは、高橋が話の途中で使った、戦争中の靖国神社の参拝風景をリアルに記録した映像である。それは、陸軍、海軍の幾つかの部隊が参拝している風景なのだが、それを見て、我々戦後の靖国しか知らない人間は、あの神社がそもそもどのような神社であったかを何も知らなかったのだと思い知らされた。


我々はみな、靖国神社といえば、戦争犠牲者の追悼の社だと思っている。そこに眠るのは、英霊たちであり、そこに行って頭をたれる人は皆、死者を悼むためにそうしているのだと思っている。ときどきあの神社では、旧日本兵の服装をして、鉄砲をかついだり、軍刀をふりかざしてみせたりする人が出てきたりするが、そういう人を見ても、普通の人は、ちょっと神経系に問題がある軍隊フリーク、戦争フリークを見たくらいにしか考えないだろう。
だが、戦争中は、それが常態だったのである。陸軍も海軍も、部隊で次々におしかけてきては、そこで軍事パレードや出陣式を毎日のように行っていたのである。死者を悼む儀式など、なきに等しく、そこは戦意高揚のために、勇猛果敢なる兵士たちが、熱気でいっぱいのパフォーマンスを繰り広げる場所だったのである。


昔、靖国神社陸軍省海軍省が共同管理するミリタリー中心の場であるということは知識としては知っていたが、この映像を見るまでは、まさかここまでとは夢にも思っていなかった。
これを見ると、靖国神社とは、神社とはいうものの、宗教的な施設ではなく軍事的な施設そのものだったのだということがよくわかる。

高橋氏には、取材先で何度かお目にかかったことがありますが、この記録映像、いつか見せていただく機会があれば、と思いました。みなさん、一緒に見ましょうよ。