人には決められないことだと分かってはいるものの、
海外援助系、フィリピン系先輩のひろさんがニューヨークで客死しました。7月1日のことだそうです。日本にニュースが伝わったのは6日あたり。急遽ご両親と担当の人があちらに渡り、状況を確認、肺炎で急逝したとのこと。まだ検証や事情聴取など続いているようです。私たちへニュースが広まってきたのは今朝からのことです。
私がアルゼンチンに行く前、88年ころですね、ひろさんたちと初めて会って、いろいろ教えてもらいました。包容力のある、温かい人だという印象でした。
その前、フィリピンで貧しい人たちと過ごし、またその後、インドでも修行を積んで、マラリアでしんどい思いをした話なんかも報告会で聞いたと思います。その人が、ニューヨークで肺炎でこの若さで亡くなるとは、まったくショックです。
ブラジルで働いていた途中、色々あって一時帰国していたところ。健康診断もやってたんですけどね。最後にインタビューした記事、追悼記事になってしまいました。このあと、もう2年ほどあちらで働いて、そのあと横浜に帰って、日本にいるブラジル人たちと日本人の両方で働くことを楽しみにしていました。また、ブラジルでの働きも誇らしく、楽しく語っていて、それがこんな夢の途中で、終わってしまうとは・・・大いなる人は何を考えているのか? 有限な人間には知るよしもないのですが、思い巡らすにつけ、辛くなります。
ブラジルに行く前、自分が持っていた障害について話したときの力強くやさしい語り、忘れられないです。その話は取材して初めて聞いた話で。この人は、これを乗り越えてきたんだと。
農業が専門で、ブラジルに大学のときに実習に行って、また戻る夢を今回実現して、・・・
ブラジルで待っていた責任者や、一緒に働いていた人も、このニュースがほんとにショックだろうと思います。日本の仲間たちも驚きで茫然としていることと思います。ご遺体がかえってきたらみんなで泣くでしょう。でも、ひろさんが大事にしてきたことを、これからやろうとしてきたことを、少し思い巡らしてみたいと思います。引き継ぐことはできませんが、彼の思いは多くの人の心に種をまき、全国、世界の中で、花開くことでしょう。その花を、ひろさんは見守って、励ましてくれるだろうなぁ。