アートの力を信じて

quelo42007-12-18



 芸術は人を自由にする、その力を信じて、クリエーターと一般の人々を結びつけている。そういうキュレーター、長谷川祐子さんを紹介するのが、今日放送の「プロフェッショナル」でした。「評価の定まらないものと向き合う「特権」〜キュレーター 長谷川祐子〜* 2007年12月18日 火曜日* 茂木 健一郎」


 しんどい思いしても続けている長谷川さんのモティベーションは、アートに人が触れあうことによって、その人の心を自由にすることができるから。自由になるという意味は、外側に向かって人が社会と関わり合おうとすることであり、また、内に向かって自分とより深く出会うようになる、というのです。そして、これだけの力を持つアートに普段興味のない人たちを、いかにしてアートに触れさせるか、これに腐心しているのが長谷川さんだそうです。


 何だか、「アート」と「宗教」を入れ替えると、日本における宗教団体の役割も、えらい重なるんじゃないか、と変なところで感心しましたねえ。


 もう一つ、彼女が繰り返し強調していたこと。展覧会の前は、もうやめよう、もう帰ってあとは知らない、と何度も思うのだそうです。実際に彼女が展覧会のために関わる人たちは、アーティストたちなので、その要求度や気ままさは確かにめちゃくちゃで、それを支えて一緒にアートをクリエートしようとするのは、相当しんどいこと、というのは番組でも実際の様子を紹介していました。
 しかしそうした苦労を一つ一つやっつけながら、展覧会が始まってみると、アートに出会って喜んでいる人たちの姿を見せてまた次の展覧会をやろう、という気持ちが湧いてくるのだそうです。それくらいしんどい思いをして、真剣に、準備をして、人々に「宗教」に出会ってもらっているだろうか? そこまでして、人々が「宗教」に出会った喜びで満たされている姿を見て、またがんばろう!と思ったことがあるだろうか? キュレーターの存在が現代「宗教」の場面には、決定的に不足しているのかもしれない、それほど安閑としているのかもしれない、と思った次第。