頂上を目がける闘争、ただそれだけで充分

quelo42008-03-17



『声に出して読みたい日本語』の齋藤孝さんがコラムで読書紹介をしている中に、学生たちにカミュの『シーシュポスの神話』(新潮文庫)を音読させている話が出てきます。「忙しい人のための読書入門〜重要なのは『万有引用力』だ」NikkeiBP 2008年3月14日
 齋藤さん曰く、

 この作品が描く世界は、まさに不条理そのものだ。神はシーシュポスに、岩を山の頂上まで運び上げるという刑罰を与える。しかも、この刑罰は一度ではすまない。ようやく頂上にたどり着くと、岩は麓まで転がり落ちていく。この意味のない作業を、延々と繰り返さなければならないのである。これより非生産的なことはないだろう。ふつうの人間なら絶望してしまう状況だ。
 カミュはシーシュポスのことを「不条理の英雄」と表現する。自分ではどうにもならない運命自体を軽蔑することで、逆に「それ以外の部分については自分でコントロールできる」という自信を獲得したからだ。


 自らの選択で意識を反転させ、不条理な状況を自分のやりがいに変えていく。岩を運び上げたという結果ではなく、一歩一歩運び上げるというプロセスに幸福を見出していく。カミュが注目したのは、転落した岩を追って山を降りていく、シーシュポスのその強さだ。


 「頂上を目がける闘争ただそれだけで、人間の心をみたすのに充分たりるのだ。いまや、シーシュポスは幸福なのだと想わねばならぬ」(新潮文庫 清水徹訳)

シーシュポスの神話 (新潮文庫)


 この「不条理な状況を自分のやりがいに変えていく」というのが、いいですね!


 人生思うに任せません。ちょっと弱気になっている、今日この頃。
 この・・・「転落した岩を追う」気力すらなくなったら、確かにヤバいですね。だから、山を降りていっているだけ、その力をもらっている幸福を恨むな、ということでしょうか。