ネタふりの妙

quelo42008-03-18



 記事ネタを探していて、現場ですごくうまくいっている事例を紹介して、他の場所でも参考になれば、という動機づけが一番よくあるパターンなんですが、実際にやってみると、あまりにもうまくいっていて、返って絶望とまで言わないまでも、あきらめや愚痴、嫉妬を招いてしまうだけの記事になってしまって痛し痒し、ということがあります。
 一番いい例は、東京あたりのH神父のケースなど、であったりします。

 で、同じようなことが、メディアの企画の話で出ていました。「プロの芸がうますぎると、素人は舞台にあがれない」2008年3月11日 火曜日 須田 伸(スダシン)という話。
 アメーバブログに、人気サービス「クチコミ番付(関連記事はこちら」というのがあるそうで、編集部でブログネタを振って、それにそったブログを皆さんに書いてもらう、というようなもののようです。

 クチコミ番付運営スタッフでは、毎週編集会議を開催しおよそ12個のブログネタを決めて配信しているのですが、たくさんのブログ記事の投稿を集めるものと、そうでないものに分かれます。もちろん、中には、意図的に「そんなにブログ記事は書いてもらえなくても、テーマについて考えてもらう機会になればそれでいい」といった「割り切り」で、ネタを決める場合もありますが、通常はより多くのブロガーにより多くの楽しいブログ記事を書いてもらうにはどうすればいいか、頭をひねって考えています。
 そして決めたネタに対して、丁寧なライティングで、ブロガーの書くモチベーションをあげそうな文章を書くのですが、これがなかなか難しいのです。
 1つ発見したのは、「ネタフリ」の文章が読み物として完成度が高すぎると、かえってそのテーマでブログ記事が書かれない、ということです。どうやら「例えば」の話が上手すぎると、そんなレベルを超えられないや、という気持ちにさせてしまうようなのです。


 例として「身の回りの名言集」のネタふりで出された「名言」のできがよすぎて、実際にそれに応えたエントリーがかなり少なく、一方で、「好きなすしのネタを教えてください」という、かなりベタな問い掛けには相当数のエントリーが来たそうです。

 さきほどの「名言を教えてください」の例で紹介したように、ブログネタ・ライティングでも「自由度」が高すぎると、参加者が減ります。また「要求レベルが高そうだな」と思うと参加者が減ります。実は「好きな商品を勝手に広告してみよう」というお題をブログネタとして出題してみましたが、やはりあまりに自由すぎたせいか、同じタイミングで配信されたほかのネタに比べてブログ記事件数は伸びませんでした。
 企業が目指すコミュニケーション戦略とは別に、ユーザー目線での商品ベネフィットが語られる、といった「勝手広告」の価値は私も大いに認めるところですが、そこでたくさんの作品が生まれる、ということにはならないのではないでしょうか。大概の人が「自分には無理」と思ってしまうでしょうから。
 ユーザーの参加を促す際に、企業は「ハードルの低さ」を十分に計算しないと、活発な2.0型コミュニケーションはつくれません。ブログネタの文章を書くスタッフには、完成度の高さというプロの技を見せつけることを控え、「きっかけ」という名の黒子を演じる文章を書くように心がけてもらっているのです。


 上のような、上手くいっている話、もあまり「要求レベル」が高いと、やる気が起きないと思います。また、投書を募ることもあるんですが、そういうときにも「ハードルの低さ」は大事かと思いました。記事書くときに、気にしてないとならないことじゃないか、と思った次第。