頭の柔らかい70代

quelo42009-07-03



 評論家の田原総一朗さんの話です。(田原総一朗の政財界「ここだけの話」2009年7月3日「子どもとの交流で感じた政治家とのギャップ」)

豊かさへのプロセスを知らない子どもたち
 だが彼らのディスカッションを聞きながら、「私は出す宿題を間違えたなあ」と思った。
 というのは、彼らが生まれたときには既に時代は民主主義だ。言論も自由。男女同権だ。さらに、さっき言ったような意味では、既に思いやりもない時代だと気づいたからだ。
 私たち70代の人間は、ここに至るまでのプロセスを知っている。
 だが、彼らには関係ない。それらが“当たり前”になってから生まれている。
 言い換えれば、彼らに「関ヶ原の合戦は、石田三成が正しかったか、徳川家康が正しかったか」と聞いているようなものだ。
 「(今日に至るまでのプロセスが)失われていっているなあ」と思った。
 私が就職した頃は、四畳半のアパートで、風呂もない、トイレも共同、炊事場も共同、りんご箱に板を置いて作った机以外に、何もなかった。それから結婚して、最初に小さな冷蔵庫を買った。それから洗濯機を買った。長く時間がたってから、やっとテレビを買った。それも白黒で、また長くたってからカラーテレビを買った。そして10年以上たってからクーラーを買った。
 つまり私たちには豊かになるプロセスがあったが、彼らには最初からなんでもある。車もある。「よかった」も「悪かった」も、きっとないのだなあと、ようやくわかってきた。
 彼らはバブルも知らない、経済が悪くなってから生まれた世代だ。だから、昔よりもよくなったということはなく、厳しい今の時代に育っている。彼らの親たちも就職氷河期を経験し、今はクビになった人もいる。
 だが、「負けて悪かった」グループの一人が「そうはいっても僕たち、思いやり、ありますよ」と言い始めた。「協力しようと思います。かわいそうな人を助けようと思います。70代に人たちは、今思いやりがなくなっていると言いますが、僕たち、ありますよ」と言うのを聞いて、「そりゃそうだなあ」と。

 戦争(原爆、沖縄戦、・・・)を知っている世代が、知らない世代に「語り継ぐ」ことはとても大切な務めですが、語れば、伝わるわけではない。相手の状況も想像しながら、聴きながら、触れ合わないと、一方的に話し続けても意味がない。そういうことにさっと気づくことは偉いなあ。
 戦争体験を話して甲乙ディベートさせることが、関ヶ原について善し悪しを決めさせるようなものだ、という気づき、なるほど、です。