ニュースの出し手と受け手の話

quelo42005-03-21



[渡辺聡・情報化社会の航海図]「ジャーナリズムと資本論:フジ/ライブドアを絡めて 2005年03月18日 22:22」の中で、「ニュースを取材しなくなったメディア」についてと、「生産過程に参加する消費者」について書かれています。この2点は表裏一体で、マスメディアが一時取材をしなくなったことと、ニュースの出し手が一般人の方にシフトしてきているという話です。


これ、Dan Gillmorが書いた、「Who's Investing for the Future? Plenty of Us」という論文が元。Dan Gillmorは、米国で"citizen journalism"、草の根市民ジャーナリズムの普及と啓蒙を積極的に行っている人だとのことです。


「取材をしなくなったメディア」とは、投資の面から見て、取材陣に投資が向かわず、その編集やら味付けなどにばかりお金がいっているという話です。


傾向として、ニュースとなる一次情報を集めるところよりも、配信やパッケージングに対して力が入れられているという。結果、視聴者は同じニュース、同じ映像、同じ画像をあちこちの媒体でみることとなる。・・・この一次情報不足は、市民の側が自主的に埋め合わせを出来るのではないかというのがDan Gillmorの見ている未来像となる。
というわけで、後半の「生産過程に参加する消費者」につながるわけです。

市民ジャーナリスムの議論は、製造/小売業で長らく言われているサプライチェーンの再設計の話、プロシューマーの議論(参照:eコマースがマーケティングの世界に起こすパラダイム転換)と近い。@コスメが商品企画をサポートしているように、条件さえ揃えば、メディアの機能がオープン化していくこともあると考えている。
プロシューマーという言葉、聞いたことありますか? 生産者と消費者とが混ざっていくイメージですね。それは消費行動にしても、商品開発にしても、いろんな側面を語っているようです。ニュースについても出してと受け手がそんなに分けられなくなる。そういう時代ですねぇ、これをポストモダンと言わずにいらりょうか! 


何度も書いてますが、いくつかのブログで語られる商品評価は、超的確かつ専門的だそうで、私が愛用する価格ドットコムの掲示板は、『暮らしの手帖』を彷彿とさせる然、ほんとに使っててどうかという意見がてんこ盛りです。


で、最後にライブドアに話題が行くんですが、


この市民ジャーナリズムの話を日本で一番組織的にバックアップしているのは(実は)ライブドアである。パブリックジャーナリストという位置づけで実際にライブドアのポータルでのニュースに採用されている。
だそうです。
韓国やアメリカではウェブ上のニュースステーションがテレビ・新聞のメディアを脅かす存在になっている一方で、日本ではまだそこまで行くサイトが出ないものの、それを一番サポートしているのがホリエモン、というわけです。


彼が、ネットはジャーナリズムじゃない、という批判に答えて、「ネット上では、ニュースは淘汰されて、いいものだけが残る」というのは実際、すでに起きていることだ、というのは、ネットを見ている人には当たり前のこと。それを無視して、ジャーナリズムの高尚さを説く人たちは、やっぱり「大手メディア会社」という既得権益の上であぐら書いている人かなぁ、と思いますねぇ。自分の実力じゃなくて、会社の看板で仕事しているのに気づいてなかったりして・・・。