人からいくら評価評判を受けたって…

quelo42005-07-03



ちょっと教条的なうたい文句ですが、前にも書いたかもしれない、カトリック教会の晴佐久神父の日曜の説教から、次の話いいですよ。「晴佐久昌英神父説教 2005年6月5日 9時半ミサ」


人の評判ばっかり気にするんじゃなくて、自分のもつ弱さや罪にこそ、神であれ、仏であれ、そうした人間を越えた存在の、本当の力を実感できる、生かされていることそのもののありがたみを感じることができる、という話かな。障碍者の集まりが喜んでわいわいやってるとこに、「静かにしなさい!」と言ってしまう。弱さを一緒に喜び合うことができないというのは、残念です。何とかその人にも分かってもらいたい!

私、タゴールの詩のお話をしました。タゴールの詩にこういう詩がある。「神さま、私は小さなあし笛。あなたは私を山や谷に持ち歩き、あなたが息を吹き込まれると永遠に新しいメロディーが響き出す」。美しい詩でしょう?私は自分では音を出せない存在です。一本のからっぽのあし笛。でも、神さまが持ち歩いて息を吹き込んでくだされば美しく鳴り響く。永遠に新しく、輝く存在になるのです。この世でどれだけ評判がいいかとか、病気か健康か、成績がいいか悪いか、障害を持っているかいないか、そんなことより大切なことは、どんなに弱くても私という存在がそこにあるということ。たとえ障害を持っていても、神さまが息を吹き込んでくださればロビーに響く「あはははは」って大きな笑い声が起こる。聞いた人はこんな美しい声聞いたことがないと、そう言うべきではないですか。

ここに書いてある「挑発系」というの、いいです。私もそうかな、と思います。ガンジーの話、知ってますか? 「非暴力、不服従。だけど、刺激しないといけない」ガンジーは言っているんです。だだじっと我慢して耐えるだけでは決してない。非暴力だけど、相手を刺激する、挑発していかないと。私もつい、こうしてしまいます。