差別と闘う「曖昧化」としての「going in」

quelo42005-07-15




【Lessig Blog (JP)】というc|netにある、コンピュータ関連のブログですが、[Jennifer Gerarda BrownによるゲストBlog] ■Gay Like Me(2005年06月10日 05:57)の中で、レッシグ自身が書いたRegulation of Social Meaning という論文に関連して、「差別」を生み出したり助長する言葉と意味合いに対抗する戦略として、曖昧化という作戦があることを次のように論じています。

レッシグは)ある言葉や行為のもつ社会的に共有された意味合いを変化させる言語装置について議論している。そうした装置のひとつに「曖昧化」があるとレッシグは説明する:「ある行為が表す意味を規制する手段として、その意味がもつ負の効果を浸食する第二の意味を付け加える」。

このエントリーを、ごく単純にまとめると、性的指向性によって差別されている人々(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、性転換者の頭文字でLGBT)と連帯するために、自分を敢えてストレートだと宣言しない、ということです。これを「曖昧化」と呼んでいるわけです。さらに面白いのは、彼らが自分のことを「coming out」することも曖昧化になるし(個人より、カテゴリーとして扱われるようになるから)、ストレートの人がそのことをはっきり宣言しないことを「going in」というのだそうです。これって、あったらしい!


この論理、例えば、HIVポジティブの人とも連帯できます。つまり、支援運動をしていて、また直接運動していなくても、「自分はネガティブと明確にいわない」ことで、より連帯の姿勢を明確化できるということです。


そんな単純じゃない!と反論でそうですが、このエントリーのタイトル通り、「Gay Like Me」というのは、「Black Like Me」というJohn Howard Griffinが黒人の扮装をして、実際に受けた差別体験をまとめた本をもじったもの。リチャード・ギアが自分がゲイかストレートかをはっきり言わず、どちらにしても、LGBTに連帯を表している、という実話も紹介されています。


先日たまたま、アルゼンチン体験のある日本人に出会いました。彼も、普通に街を歩いていて、「チーノ」と呼ばれて、指さされて笑われた体験の持ち主。差別って、やられてみないと、痛いのわかんないんだよなぁ。で、本気で連帯しようと思うときに、going inすることは、自己満以上に、覚悟を決めてやらなければならない、気合いを入れさせられるいい作戦じゃないか、と思った次第です。