「知る」ことの権力

quelo42005-09-19



はてなの社長、【近藤淳也の新ネットコミュニティ論】から、2つエントリーを。2つとも7月のエントリーですけど、僕が持っている組織におけるコミュニケーションについての問題に関し、大変示唆に富む話です。プラス、人間、経験からイデオロギーを作り上げる、ということがよく分かる話。自分の立ってる点からしか物は見えない、そこからいかにクリエイティビティをのばしていけるか、です。カクレクマノミ、ではいかんぜよ>

■でたらめさはどこから来るか(July 18, 2005 09:41 AM)
少なくとも生徒の側からしてみれば理不尽な事のように見える学校の制服制度はなぜ必要なのでしょうか。当事者と違う場所でルールが作られ、それが絶対的真理であるかのように受け入れられ、そのルールに疑問を呈することはタブー視され、現場では理由も示されず本質から外れた管理が行われていて、疑問を持った当事者が疑問を投げかけるための窓口は用意されておらず、推理に近い努力をしないとその理由すら分からない。こうした状況はとてもつらかったので、僕は次第に「権力」と「情報の隠蔽」に敏感になるようになりました。

権力(を持つ人)は自分の権力について無頓着です。なぜ権力を持っているのか、どういう権力を持っているのか、については考えず、ひたすらその権力にチャレンジしてくる相手に、まさにその権力を行使して封じ込めをはかります。チープな権力ほど、こうした猿芝居を演じるような気がします。力を持つ分、責任があると思うのですが、チープな権力は大変利己的です。オープンさ、透明性、説明責任というアカウンタビリティは、この情報化の時代に必須です。


最後に近藤氏は、「その強制の根拠を納得いくまで知りたがる傾向が自分にあるように思います」と言ってます。何か、こういう気持ち、分かるなぁ!


もう1つ。社内情報をコンピュータプログラムから会議録に至るまで、共有する試みです。

■情報の私物化を禁止する(July 27, 2005 11:11 AM)
前回は各個人のコミュニケーション能力について触れましたが、社内での情報共有を活発に行うにあたって他にどういう問題が発生するかを、自分自身の起業からの出来事を振り返りながら考えてみたいと思います。


社外とのやり取りのメールや打ち合わせの内容についても、コードと同様、守秘義務契約などに違反しない範囲でなるべく社内で共有をしています。メールはメーリングリストに転送を行っていますし、会議の議事録は社内グループウェアにアップします。


こうしていれば、「なんだかおかしいな」と思った時に少し情報を調べれば、すぐにおかしい原因が分かるようになります。


ここで大事なのは、「その情報を出すべきかどうか」を情報発信者が判断するのではなく、全ての情報を出しておいて、情報閲覧者が「その情報を読むべきかどうか」を判断すればよい、と考えることです。

この最後の「出すべきかどうか」ではなく、全部出して「読むべきかどうか」を判断するという発想、面白いですね。挙げ句の果てに、はてなは社内会議をストリーミングで社外からも見られるように。ユーザーと共に働くというようなアイデアらしい。


変な会社ということで、取材依頼はひっきりなしだそうですが(渋谷あたりのNTT研の中にいるらしい)、変な官僚主義の日本的職場に比べて、超対極にいるようで、刺激になります。これ、僕の周りでどこまで活かせるかな???