私の理想の人たち

quelo42006-01-26



まあ、こういう事書くのもどうかと思いますが、私にとって、こういう人でいたいなぁ、と思われる理想の人が2人います。こういうふうに終わりたいなぁ、かもしれません。


一人は、誰にも説明のしようがないのですが、アルゼンチンで一緒に働いたフリアの父ちゃん、水道屋さんの。まったく宗教色も人生の大きな目標も何もない(ように見える)。ただただ、毎日水道管をつないだりはずしたりしている。こつこつと。それで、長男は神父、その上と下の娘は信徒宣教者、その下の娘は医学部に通ってて、またシスターになったかも。その下のパブリートは新聞配達しながら学校通ってた。彼も神父になったかも。ともかく、くそまじめでもなく、何といったらいいか、ともかく「こつこつ」。焦らず、走らず。結果として、周りの人をちょっとだけ温かい気持ちにしてくれる。どうしたらあんなふうになるのか見当もつかないけど、その父親。


もう一人は、寅さんに出てくる御前様、笠智衆(↑は、寅さんじゃないけど、笠智衆+小津作品から「東京物語」)。何かのためになっているかどうか分からないけど、何か、世の中のバッファのような人。受動的な宗教者だけど、真の意味で宗教的なんじゃないかといつも思っている。


宗教者は結局、右であれ、左であれ、自分主導である限り、同じように思えます。何かを求めて目の前に現れた人にどこまで聞き入ることができるか、そこに真価があるように思えます。自分がない、のとはちょっと違う、だけど、相手が吸い込まれるほど、相手を聞き込めるような人。それはG.マルセルがいうdisponibiliteをほんとの意味でもっていられる人。それがあの御前様だと思うわけです。・・・だから何だ、という声が聞こえそう。