“メタ”の世界−ちょっと難しい話ですけど
CNET Japan Newsletter 2006/02/07【渡辺聡・情報化社会の航海図】から。実体物である「モノ」よりも、そのひとつ上の(奥の)メタ領域のモノが価値を持ってきている、という話。抽象的に見えるけれど、具体レベルでそのような事態が確認できる事例があるように思える。
アトムからビットへ。ネグロポンテは語った。データからメタデータへ。サプライからデマンドへ。今起きていることをこのように括れる。
■ビーイング・メタ・デジタル(2):メディアからメタメディアへ
メタ層への価値移転はメディアの領域でも落ちている。分かりやすいケースを順に整理していきたい。
供給側が増え、相対的に需要が足りなくなると、ユーザー側に立っている方がビジネスのポジションは強くなる。希少資源へのアクセスとコントロールを握っている方が強いのは今も昔も変わらない。
■ビーイング・メタ・デジタル(4):コンサンプションセントリックと流通支配
セマンティクスの理解とメタデータの取り込み、ユーザー行動の理解度向上は、レレバンシー向上に留まらず、レコメンデーション精度の向上にも繋がる。ユーザーが欲しいものが何かを捉え、既存のものに限らず更に追加提案を行う。何が有用で何が有用で無いのか、コンテンツの提供側よりも理解が進めば支配力は増す。
ちょっと難しい話ですが、たとえば(1)で、金融を例にとると、マネー自体よりも、そこから派生したデリバティブのような商品、流通なら、物品販売自体よりも何がいくら売れているかといったPOSデータ自体の方が商品としての価値を持っているという話。さらに、(2)のメディアについては、ブログやソーシャル・ニュースなどのような記事自体よりも、その集約や解説などに価値が移ってきている、という話です。
私たちも、情報の出し方として考えないといけないなと思います。メディアはここの情報を扱いつつ、それを束ねて提供するという意味では“メタ”的要素ももちつつ、まとめ方としての紙媒体と電子媒体のコンビネーションなど、もう少し統合的に見直さなければならない時期に、遅まきながら来ているなぁ、と感じる話でした。上のような分析は、既にけっこう進んでいるはず、です。もっと勉強しないと。