花粉症と砂嵐

quelo42006-03-12



今日、書こうと思ったことは、イスラームには聖職者がいない、ということ。「宗教指導者」がいるだけだそうで。宗教指導者は、何らかの職業を持っていて、必ずしも教団側から選ばれた認定教師というわけではなさそう。イスラームについて教育を受けた人が、周りの人からいろいろと相談を受ける中、信頼されていって自然と指導者になるのだそうです。これって、キリスト教系教師認定制度とは相当異なる! 面白いですねぇ。それに、けっこう知らないもんですねぇ。


というわけで、日本人ムスリムの指導者と話す機会があり、上のような話を聞いたわけです。
ところで今日話を聞いたわけですが、先週の仙台から、かなりシリアスな花粉症(またはそれに近い何らかのアレルギー反応)になっていて。鼻水は止まらず、ゴホンゴホン言いながら、話を伺ったわけです。中東に留学、駐在経験が長年ある彼は、「ところで砂嵐はご存じですか?」というような話になって。私のいたアルゼンチンは、東北部の半砂漠地帯なので、「はいはい、よく知ってます!」という感じになって。いいなぁ、日本の地にあって、砂嵐の怖さについて「そう!そう!」と盛り上がれる変なふたり。
じっとしてても口の中がジャリジャリになりそうな砂嵐の中にいたら、目も鼻もとんでもないことになるわけで。「ほんとにターバン欲しくなりますよねぇ!」と、もう一盛り上がり!
いや、花粉症なんて、軽い軽い、なわけです。


さて、イスラームについてもう一つ新情報。シーア派スンニ派、といつもマスコミ的には区別して論じられてきていますが、彼によると、別に教義が違うわけではなく、実際に自分は何派に属している、といったものではないのだそうです。
これは入信制度と、上の聖職者がいないことにも関係しそうです。入信の要件は、証人の前で信仰告白すること、だそうで、●●派の信仰教育を受けて、その派の中で入信するわけではない。教団が選び、育成した聖職者がいるわけでもないので、その派独自の教育システムや内容があってその派らしい信者になるわけではない。もちろん中東情勢を分析する上での社会的、地政学的に意味のある区別だと思いますが、どうも信仰的にはあまりたいした区別ではないらしいですね。まあ、カトリックや各プロテスタントは、もうちょっと違いますね。組織もそれぞれありますから。
こういうのって、マスコミの情報が予定調和的に繰り返されることで、何となく、世界中のムスリムは、シーア派スンニ派かどれかの派に分かれていて、それぞれ仲はあまりよくなさそう、というイメージができあがってしまっている感じしますね。その彼が言ってたことですが、各宗教指導者同士の対話がもっともっと必要。さらに各宗教指導者が一般の信者たちとも、もっと話し合う必要もある。まったくその通りだなぁ、と思わされました。