中国の新任、劉新紅司教のインタビュー

quelo42006-08-09



この5月に、ローマの許可なく3人の司教が中国で任命された騒動の、中国側からの紹介記事です。「新たな変革に直面するカトリック教会」李麗『北京週報』日本語版、2006 No.32


基本的に、自分たちはローマへの忠誠をもっているし、しかし司教不在の教区が97教区中40教区あり、司教を相互投票によって選出して行かざるを得ない、と述べています。しかし読後感としては、そこまでいうなら、まずバチカンと国交を樹立して、外国人宣教師も含めた宗教活動の自由を認めたらどうか、というのが第一印象です。
ましかし、日本語で読める、中国教会関係者の生の意見という意味で、大変貴重かと思い、以下、全文を掲載しておきます。

カトリックの祝典の日の5月3日、教区(安徽省)の劉新紅神父は同省蕪湖市のサンピエトロ教会で1000人余りの信者と来賓が注視する中、司教に任命される「祝聖儀式」に臨んだ。劉神父にとって、この儀式は、安徽省の数十人の聖職者と5万人の信者を指導し、カトリックをより発揚させる重要な責任を担うことを意味するものであっただけに、世界にこれほど大きな波紋が広がるとはいささかも思ってもいなかった。


4月20日をはさんだ1カ月間に、中国のカトリック教会は司教3人と助祭1人を任命した。だが、2人の司教はローマ教皇から承認されなかった。劉新紅司教はその1人だ。中国のカトリック教会は教皇の権威を軽視しており、この祝聖は中国とバチカンローマ教皇庁)との関係改善や国交回復を損なうものだ、と国際世論は一時激しく非難した。バチカンは中国とまだ外交関係を結んでいない。


カトリック教徒として私は、教会はこの上なく唯一であり、この上なく神聖であり、この上なく公平であり、宗徒が伝承してきた神聖にして公平な教会と、教皇は私たちの最高の指導者であると信じています」。42歳の劉司教はこう語った。司教府は合肥市郊外にあり、事務室はわずか10平方メートル。壁には聖母マリアの画像と、前任の故ヨハネ・パウロ二世と新教皇のベネディクト十六世の写真が掛かっていた。


劉司教は安徽教区に勤めてすでに16年。1990年に上海?山神学校を卒業後、蚌埠教区(2001年以前、安徽省には蚌埠、安慶、蕪湖の3つの教区があった)の神父となった。教皇に承認を得ずに祝聖儀式を行ったことについて、劉司教は「教皇の任命を得られなくとも、しっかりと布教に務め、成績を上げることができれば、神はやはり私を加護してくれることでしょう。逆に、教皇の任命があったとしても、布教に務められなければ、信者に認められず、神父と修道女も同じように私を見捨てることでしょう」と語った。


外国メディアの間には一種の誤解がある。中国のカトリック教会は完全にローマ教皇の権威を認めていない、というものだ。劉司教はこれに対しては「滑稽な話です」と指摘。同時に、現ローマ教皇が先ごろポーランドを訪問したことや、教皇バチカンでの一日の修行について話してくれた。神父と修道女とともに、ヨハネ・パウロ二世の葬礼とベネディクト十六世の戴冠式の様子をテレビで観たという。すべての司教が教皇に謁見しているのだろうか。劉司教は「全世界の4000人余りの司教は5年ごとに1回、聖職の報告をするためにバチカンを訪れています。ですが、中国はバチカンとは国交を樹立していませんので、これまで公式の形でバチカンに行ったことのある中国人司教は一人もいません」と説明。


さらに「中国とバチカンが早く国交を回復するよう望んでいます。しかし、それほど容易なことではないかも知れません」と付け加えた。「もし教皇に謁見できるチャンスがあれば、何を語りたいですか」とたずねると、少しもためらうことなくこう答えた。「至聖の聖なる父よ、中国の教徒、そして安徽省の教徒に、いま少し御心をお寄せいただけないでしょうか」


苦渋に満ちた選択
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蕪湖市に住む陳衢さん。技師を定年退職して今年67歳。カトリック教徒の家に生まれた敬虔な信者だ。家族は上海に移り住んだが、陳さんだけ蕪湖市に残った。奥さんは早く上海に来て家族とともに晩年を過ごしてほしいと願っている。だが、陳さんは今でも教会の仕事に専念している。「手当ては200元、往復の交通費にもなりません。しかし、自腹をきってでも、『革命をやる』つもりでいます」。陳さんは冗談交じりに話してくれた。


2005年9月、安徽カトリック教会に司教任命祝聖部会が設置され、陳さんは座長に指名された。
「私たちの司教の任命はカトリックの伝統、それに中国のカトリック司教団の規定に沿ったものです。安徽教区の実情を深く考慮したものでもあります。私たちは実際に、教区を導いてくださる司教が早く来られることを望んでいたのです。神聖な行事を行ったり、修道女として解脱したり、また俗世間に戻させたりするには、司教がいなければできません。羊の群れを放牧することはできなかったのです」と陳さん。


さらに「安徽省カトリック教会は2001年に大きな変革を経験しました。蚌埠と安慶、蕪湖の三つの教区を合併して、安徽教区を設立したのです。でも、時機を逸することなくバチカンと連絡することはできませんでした」と説明する。
劉司教は「当時、神父の数は少なく、安徽省全体で20人もいませんでした。3つの教区が個別に活動していれば、宗教儀式に質的に影響が出るのは間違いありません。当時、老司教の朱化宇氏は入院していて、正常な聖職活動ができない状態だったので、私が朱司教の助手として、教区の活動を取り仕切ることになったのです」と話す。


朱司教が2001年に入院して以降、安徽教区にとって司教の任命が急務となった。このような状況の中、病状が悪化しつつあった朱司教は、書面で劉神父を後任者として推薦する意思を表明。朱司教が逝去した2005年末、劉神父は平等で民主的な選挙で4人の候補者の中から司教に選出された。劉司教はその当時をこう振り返る。「外国から来た修道女や神父に、政府と共産党からあなた方に何か圧力があったのではないか、とよく聞かれましたが、圧力などまったくありませんせんでした。私たちが自ら選んだのです、と答えました」


新世代の司教
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4月と5月に選出された3人の司教と1人の助祭はいずれも45歳以下。安徽教区の劉新紅司教と蘇州教区の徐宏根司教、昆明教区の馬英林司教は?山神学院の学友だ。
今回の祝聖は中国に新世代の司教が誕生したことを示すものでもある。彼らはほとんどが信徒の家庭の出身。旧世代の司教と違って、いずれも神学校で学んでおり、外国人神父の下で聖職者になったのではない。さらに重要なのは、若い世代の司教たちは「文化大革命」(1966−76年)を経験していないことだ。この10年間、教会での宗教活動はほぼ停止され、司教の多くが拘禁されたり、思想改造のため農村に送られて労働を強いられたりした。
劉司教は「総じて言えば、現在は、信徒の精神面にしても、教会の組織構築の面にしても、回復し発展する時期にあるのです」と話す。


中国天主(カトリック)教愛国会と中国天主教主教団のデータによると、97ある教区のうち、40教区で司教が不在であり、しかも現司教の半数以上が80歳以上の高齢だ。5月6日、国家宗教事務局の報道官は談話を発表し、布教事業を発展させるために、自主選挙による司教の選出を今後も継続していくとの考えを示した。
劉司教は布教について「私は私の家族(神父と修道女)と、私の羊の群れを愛し、私の国も愛しています。教会の布教をしっかりとやることは、社会の安定に貢献することでもあるのです」と強調した。


司教就任後にまず解決しなければならないのは、安徽教会の自主運営である。劉司教は今、文化大革命の間に没収された不動産の回収のために奔走しているところだ。不動産の賃貸による収入は安徽教区の自主運営にとって重要な財源となる。政策面で国の関係規定に支えられてはいても、歴史的な問題がまだ解決されていないのが実情だ。


現有の不動産管理も劉司教にとっては大きな課題だ。国の政策によれば、没収された不動産が回収できない場合、教会はその補償として現金を支給される。劉司教は「補償金は教会の日常経費に使うのではなく、新しい不動産を購入して貸し出すことで、賃貸料を得るつもりでいます。不動産は教会の命の綱なのです」と強調する。
現状から見て、突発的なことがなければ、不動産収入は年間7万〜8万元ぐらいにはなる。教会の日常経費は年間5万〜6万元であるため、資金面での困難は解決されるだろう。


教会の団結
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劉司教のもう一つの仕事は、教会内部の融和を進めることだ。1949年に中華人民共和国が建国されて間もなく、カトリック教会は内部分裂を起こした。共産党無神論であり、カトリック教会は有神論であり、有神と無神は両立できないとして、新生の政権との協力を一部の神父が拒否したのが原因だ。しかし、新政権はカトリックに対し寛大な姿勢を持ち、信仰の面ではローマ教皇庁と依然として同一であると考え、政治面での政府との協力だけを求めた。多くの神父は政府のこうした呼びかけに応え、自主管理、自主布教、自主運営の新しい教会を設けることを決定した。しかし、様々な宗教活動は文化大革命の間に攻撃の対象とされた。そうしたことから、教徒の多くは、精神的喜びを得るために非公開の場で宗教儀式を行うことしか選択できなくなってしまった。


こうした状況がカトリック教会の内部分裂を招き、一部の神父は国の宗教政策に反して、非公開で布教活動をするようになった。劉司教は「こうした宗教儀式に参加した教徒の中には、文化大革命で受けた考えに影響された人もいるし、特に信仰したことで迫害を受けた人の間では、私的な場での儀式に出席したほうが安全だ、という誤った考えがあるからなのです。非公開で布教活動を行っている神父たちが、早く公開の場で行ってくれるよう望んでいます。私たちは公明正大な布教ができるよう、彼らに教会という場を提供するつもりです」と強調した。

その上で劉司教は「カトリック教会内部の融和が完全に解決されるのは、バチカンとの国交が回復された以降になるでしょう」との考えを示した。
6月4日はカトリック聖霊降臨の祝日。この日、劉司教は蕪湖市のサンピエトロ教会堂で主教就任後3回目のミサを主宰した。