「新聞、雑誌」「ディレクトリサービス」「サーチエンジン」「ソーシャル系サービス」という分類の妙

quelo42006-09-09



これ、面白いですよ。
c|netにコラムを書いている渡辺聡さんが、信頼性とメディア設計という、6月7日のエントリーで、メディアを上のように分けています。従来の紙媒体vs電子メディア、という分け方をさらに一歩進めたものです。
これをもとに、FACTA編集長阿部重夫氏と対談されているインタビュー記事は、さらにこの渡辺氏の言わんとすることが詳述されています。「渡辺聡氏『メディアはどう変わるか(1)--web 2.0の実体」

この第1回目では、何をもって「2.0」といえるのか、という話に終始していて、まあまあなのですが、第2回目、インタビュー:渡辺聡氏「メディアはどう変わるか(2)ヤフー・ニュースの新と旧」では、上の4つで何が変わったのか、その中で、「ディレクトリサービス」に入るヤフーで、「新聞・雑誌」はどうなったのか、が書かれています。(さらにヤフーとはいかなるものか、については、「共同通信がヤフーに逆襲」「地方紙など新聞51社が連合サイト」にも、詳しく書かれています)

渡辺 紙だと発刊サイクルがありますよね。ソフトウェアもそうですが、箱に入れて流すと、物理的なタイミングや制約によってリリースのサイクルが決まってしまいます。しかし、インターネットによって決まったサイクルでしかコンテンツを出せないことから解放されました。毎週でも、毎日でも、毎時間でも、好きなタイミングで更新出来るようになったというのがポイントです。だからヤフーのニュースは、そういう時間単位でぐるぐる変わって、見られなかったらぽんと打ち切ったりと、常に動いています。紙などに比べてパッケージングが非常に柔らかくなったのです。


つまり、最新号という概念がない。何号というパッケージがないのです。行けばその時点で最新のコンテンツが見られる。その時々に必要なものが出て、ずっと更新され続けています。しかし、裏では人がやっている訳です。だから、この記事がいいとか、タイトルを好みで付けたりという点では、ある意味、昔のメディアとそんなに変わらない。

これが「サーチエンジン」の時代には検索語に引っかかればどんなページにでもたどり着くことができ、さらに進んで、「ソーシャル系サービス」になると、個人が発した情報がまず手に届くようになり、そこでどの情報を信頼するかは、コンピュータのアルゴリズムと自分自身への「フィット感」、人々がその情報にどれだけ「反応」しているかという一種の市場性のようなもの、で決まっていくのだというのです。


で、旧来の紙メディアにはもう価値が無くなるか、というところで、2人はだいたい同じような感想を示しました。

阿部 おっしゃるとおりです。私がやっている雑誌はまさにプロフェッショナルな世界で、分散していないというか、代替不能の取材そのものの世界です。小さいところに凝縮したパッケージを、編集部数人で月ごとの切り口にして売るわけです。それが薄く広く浅く、かつ身近な話を膨大に時々刻々並べたサイトに情報のニーズが移って行って、全部そちらへ行ってしまうのですかという疑問が起きます。つまり、プロフェッショナルなパッケージは生き残れないのかという疑問です。ただ、何の理論的根拠もないけれど、直観的にプロフェッショナルのある一定の枠を持ったメディアは消えることはないと確信がある。だからやっているわけです。

私の感じていたことと近いなぁ、と思って。紙であれ、映像であれ、ネットであれ、どの媒体を通すにせよ、記者の取材は代えられない。パッケージングは機械に取って代わられるだろう。そこら辺から、いまのジャーナリズムのあり方を見直すべき時だと思うのですが。