言葉と経験

quelo42006-11-17



誰か、哲学者の本にこういうタイトルのものがあったかもしれませんが(ヴィトケンシュタイン orフッサール風)、先日karposさんと話していて、彼女の関心事として、「外国語で神学をやってどうでした?」というのがありました。<冬のさくら>


質問の真意は、「言葉化された経験」と「言葉化される以前の経験」について論じ始めることになるようですが。私にはこの言語哲学のような話はちっとピンと来てない一方、英語、スペイン語、日本語で自分の人格が違う、ということは自分でも感じるし、同じような体験をしている人もよく言いますね。スペイン語で話しているときはかなりラテン系になります。言葉は記号だと割り切れない部分がここにあるような気はするわけです。言葉の種類によって、表現された経験が左右されているわけで、人間の力を越えた者について話しているときも、特にそれが西語の時と日本語の時は、かなり言ってることが違うと思われます。
これ、突き詰めると面白いテーマでしょうね。