ワタミの渡邊美樹さん=効率優先主義のようではありますが・・・
最近、コムスンの介護事業買い取りでも話題になっている、ワタミの渡邊さんの話が日経に出ていました。(渡邊 美樹「あなたのお金は、直接民主主義の一票です」2007年6月21日)
- 作者: 渡邉美樹
- 出版社/メーカー: 日経BP社
- 発売日: 2007/06/28
- メディア: 単行本
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こうした新進の経営者はリクルートの江副さんやホリエモンのときのようにマスコミで持ち上げられ、あとでスキャンダルを暴かれ引きずり降ろされたり、既存勢力に立ち向かうために危ない橋も渡ったりしているものでしょうが、まあ、そういった実際に裏でどういう商売をしているかは分かりませんが、ここで話されている話は、評論家のように政治に文句を言っていても始まらなくて、私たちも問題に腰を入れて自分でやらなければならない。
「公(おおやけ)の仕事は、すべて官がやるもの」。これが長い間、日本の“常識”でした。「公=官」というわけです。
「小泉行革」はその“常識”を変えようとして、道路事業や郵政3事業の民営化を進めたわけですが、建前では民間に開放されていながら、事実上「官」が牛耳っている「公」的な事業が日本にはまだまだたくさんあります。
それが、私が現在「民」の立場で取り組んでいる「教育」「医療」「介護」「農業」「環境」です。いずれもあらゆる人々が安心して暮らしていくために必要不可欠で、誰もが等しく受ける権利を持っている、真に「公」的な事業です。同時に、典型的な「官」配下の「行政産業」がはびこる分野でもあります。
まあ、もちろん「小泉改革」が万能だと言う気はありませんが、「公」=「官」「私」=「民」という図式は明らかに間違い、思いこみです。もともと教育、医療、福祉はヨーロッパで(戦後日本でも)教会が担ってきた歴史があり、政府が充実(肥大?)するにつれ、私→官の流れができてきたわけで。今でもこうした「官」のあみからこぼれ落ちる人たちを、NGOやら宗教団体が援助する部分もあるわけで。そうした意味で、「谷間」だけでなく、大きな部分を官→私に移行すべき、というのが渡邊さんの話です。
では、「官」になくて「民」にあるのは、なんでしょうか。
それは、「経営」です。
私は「学校」「病院」「老人ホーム」「農業」「環境」の分野で事業を展開していますが、その手法はきわめてシンプルです。要するに外食産業でやってきたように「経営」をしただけなのです。
逆にいえば、「官」が仕切った世界は、「経営」が不在だったのです。市場を「官」がコントロールしているために、競争が生まれない。ゆえに、ライバルと切磋琢磨しながら顧客によりよいサービスを提供したり、より魅力的な商品を開発することで、売り上げを伸ばし、収益を上げる、といった「経営」努力がまったく必要のない世界だったのです。
その結果どうなったか。
いま、私立学校の半数が赤字経営です。病院では医療過誤が頻発しています。少子高齢化が進むというのに老人福祉サービスは一向に充実しません。日本の食料自給率は先進国で最低のパーセンテージです。
私自身、実際に自分で学校や病院、老人ホームを経営するまでは、きちんとしたサービスを提供しながら黒字化するのはさぞや難しいのだろうな、と思っていました。ところがさにあらず、いざ参入してみると、自分で思っていた以上にすぐ黒字化を果たすことができたのです。
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当初はシンプルに「自分が理想とする教育の場を創りたい」と思っていた私ですが、いつのまにか、「官」が仕切っていた「公的サービス」の世界にさまざまな方面で参入していたわけです。そして、正直、あきれてしまいました。なんとも不思議な“常識”がまかりとおる世界だったからです。
どんなに重大な問題が起こっても、改める仕組みのない世界でした。問題を隠そうとさえする世界でした。より良くしていこうという気概のない世界でした。
なぜそんなことに? それは、既存の枠組みを守ることに固執し、ミスをしないことを最高の処世術とする、まさに官僚主義的な考え方が横行していたからです。
肝心なものがそこからは抜け落ちていました。こうした公的サービスがそもそも「誰のためにあるものか」という本質的な問いかけです。いいかえれば、これらの公的サービスの本当の「お客さま」は誰なのか、という視点です。
学校教育は誰のためにあるのでしょうか。教師? 文部科学省? いいえ。そこで学び育つ、子どもたちのためにあるのです。病院は誰のためにあるのでしょうか? 医者? 厚生労働省? いいえ。そこで治療を受ける患者さんのためにあるのです。老人ホームは? お年寄のため。農業は? 食事をとるあらゆる人たちのため。
そう、話は単純にして明快なのです。サービスの本質に官民の違いなどありません。お客さまがどうすれば幸せになるのか。それだけを考えて仕事に邁進すればいい。
ところが、「官」が仕切っている行政産業の世界では違う“常識”がありました。仕切っているお役所、利権を持っている政治家、そして彼らがつくった仕組みに群がって利益を得よう、立場を守ろうという人々の利害が、最優先されるようになってしまったのです。
さて、我が社も公的サービスであります。
さて、「お客さま」は誰なのか、まったく私たちにも同じ問いに答え、サービス向上を図らねばならないのは私たち自身だと思います。あ〜こんなこと考えたら、続けられないかなぁ・・・