この本、こんなオチになってんですね!!
いつもコメントくださる仙人さんに聞くまでもなく、私の同級生など近い先輩後輩などの大学関係者が集まるたびに、就職難がさらに進んでいることが話題に上ります。そんな関係もあって、最近評判の水月昭道著『高学歴ワーキングプア』のことも、よく聞いていました。
内容として、少子化によって経営重視、専任教員数をぐんぐん減らしておきながら、そのくせ、大学院の定員をじゃんじゃん増やすことでそっちで稼いでいくという往復びんた政策のおかげで、おっつけ教員候補者は増大、募集枠は急速収縮となった・・・という90年代以降の文部省の政策を批判している本ですね。
と、思って、まあ知った話ですし、あまり気にしていなかった(気にしても妙案もなく、気分悪いだけなので・・・)のですが、今日一つの書評(毎日1冊!日刊新書レビュー<評:後藤次美>)を読んだところ、そのオチにびっくりこきました!
「高学歴ワーキングプア」の大量増産は構造的な要因が大きい、と著者は力説する。にもかかわらず、対処策としてノラ博士に差し出す言葉は、「そんなにも必死になって大学にしがみつく必要性は、どこにあるというのか」「自らの人生について、今一度、ここらで考え直してみるのも一手ではあるまいか」と、なにやら説法めいている。
学者なのに、この説教臭さは何だ?と思ったら、著者は「一体、何のために博士課程へと進学したのか。もはや、仏に教わるより道は見えてこない」と得度をして仏門に入ったんだそうな。
そのことが本書終盤にも影を落としていて、著者は学校法人に、しきりと「利他の精神」なるものを説いている。〈もし、学校が「利他の精神」を十分に発揮したならば、教育の成果が出るといわれる二五年後の世界は、少なくとも今より期待が持てるものとなるだろう〉
ここまで来ると、私も頭を抱えてしまう。そんな「心がけが大事です」みたいな話でよいの? 世間では見過ごされがちな「高学歴ワーキングプア」の問題を知らしめる貴重な1冊だけに、最後まで学者アタマで処方箋の議論も詰めてほしかった。「もはや、仏に教わるより他に道は見えてこない」と返されたら、それまでだけど……。
社会状況の問題をこころのありように収斂させるような論法って、高度先端医療の倫理的是非を問うているときに、「やはり菩薩行です」みたいな回答で、まじめに考えている人のやる気をかえってそぐようなものじゃないですか、これじゃあ!!!
具体的に、いまここで、その問題が人の生き死にに関わっているときに、こころのもちようはないだろう!と、ちっと、イラッときました。