オーマイニュース批判から学ぶもの

quelo42009-06-26



 市民メディア、オーマイニュースがことし4月に終了してから、その反省文のようなものがあちこちに出ているらしい。毎日OBの佐々木俊尚さんが数年前から編集方針について批判していたが、現在の「蒸し返し」の中で、何が問題だったか書き出している。「オーマイニュースについて小田光康氏からの質問」2009/06/24 23:58、佐々木俊尚

 つまりオーマイニュースの言論をいかにしてより良いものにしていくのかが私のミッションでした。しかし残念なことにオーマイニュース編集部はまったくインターネットの本質を理解しておらず、ネットの流儀とはまったく相反した編集活動を行いました。


 ネットの本質、ネットの流儀とは以下のようなことです――ニュースの収集から編集、公開にいたるまでのプロセスをすべて可視化し、その可視化されたプロセスに対して外部からの反論や評価、分析などをきちんと受け入れること
 しかしオーマイニュース編集部は編集プロセスのほとんどをオープンにせず、さらに外部からの批判の声に対しても黙殺するという方向で編集活動を行いました。オピニオン会員の封殺がその最も象徴的な事件です。


 編集部スタッフの多くはマスメディア出身者で、マスメディア的な編集から一歩も踏み出すことができなかったということなのでしょう。たいていのマスメディアでは、編集プロセスはブラックボックス化され、読者など外部の第三者からの批判を受け入れることを認めていません。しかしこのようなマスメディア的な編集は、ネットの世界では通用しません。
 上記のような状況で、「オーマイニュースの言論を高めていく」という私のミッションを遂行するためには、無理にでもその編集プロセスを可視化させ、外部からの批判を突きつけることしか方法はありませんでした。少なくともあの時点で私はそう判断しました。そのアプローチの一環として、外部媒体で批判記事を書いたのです。


 この「編集の可視化」と「編集のブラックボックス化」は、とてもよく分かります。確かに紙媒体の編集プロセスに外部者が口を挟むことを私たちは大変嫌います。それは、プライドとか何とかよりも、一番は締切のプレッシャーかなあと思います。決まった時間までに仕上げないといけない中で、このプロセスはかなりの部分、規格化され標準化されないと進んでいかない。だから読者からの声については後付で参考にさせてもらうという対応になります。精神的な「傲慢さ」とは、多分違うと思われ、誰がやっても、紙媒体である以上そうなるかもしれません。


 一方で、この「ネットのお作法」発想は、なるほどそうだと思います。「参加」が前提でない限り、また参加を前提とした「貢献規模と権限のフラット化」を実現しない限り、ネットは盛り上がらない。・・・だとすれば、紙媒体とネット上両方でニュースを出す場合、編集部はまったく別発想、別人材、別規律で運営される必要有り、ですね。よく頭に入れておかないと。
 それにしても、この「参加度のフラット化」、現代の教団運営自体にも当てはまりそうです。オープンと可視化が運営自体に対しても、キーワードなのか。